ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録
by hiroi22
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「或る女」と「三四郎」
最近凝っているのがiPhoneで読む「青空文庫」。つまり著作権の切れた小説などを読むことである。「著作権が切れた」小説であるから、その多くは文豪、名の通った明治・大正の作家の作品が多いのはいうまでもない。iPhoneではその青空文庫を読むためのアプリケーション(200円〜400円弱)を購入すれば、7000以上の作品の中から無料で好きな作品をダウンロードして読むことができる。
読む前は電子書籍などよりも普通の本で読む方がきっと読みやすいと思っていた。しかし、読み始めてみるとこっちの方がずっといい。第一にフォントの種類と大きさに自由度がある。つまり「はっきりした大きな字」が選択出来るのだ。そして、手軽に読むことができる。文庫本であれば鞄などから取り出し、しおりを手繰って読みかけのページまでたどり着かねばならない。一方iPhoneだとこの操作が片手一本、指先で出来る。青空文庫のソフトを立ち上げれば直前に読んでいた作品のページが表示される。ページを繰るのも指先ひとつで済む。ソフトウェアの反応もきびきびしていている。iPhoneなので音楽を聴きながら読むことができる。メールが来れば即座に対応出来る。本を読むのに飽きたらインターネットをすればよい。ゲームが好きならゲームに切り替えてもよい。読み終え別の作品を読みたくなったらダウンロードすればよい。普通ならものの1、2分で別の作品が手に入る。多少混み合った通勤電車の中でも吊り革片手に操作出来る。こういった操作環境は私にはとても快適である。
最初にダウンロードして読んだ記念すべき作品が有島武郎の「或る女」である。この作品を選んだのは格別の理由はない。名前は知っていたが読んだことがない。有島武郎は作者名の「あ」行のリストの作家。そして「或る女」は作品名の「あ」行の作品。こういう偶然でダウンロードしたに過ぎない。しかし、読み始めて驚いた。とても明治・大正の作家の作品とは思えないほど毒々しい、あるいは生々しいのだ。この作品の「或る女」とは早月葉子という女性である。この女性が25、6歳のわずか1年ほどの、しかしすざましい話である。
「煩悩」という言葉がある。この話のヒロインは倉地という男への愛を貫くためにこの煩悩をすべて背負った人に見える。嫉妬、虚栄心、不義その他の人間としての裏の部分が葉子を通して語られる。それをあからさまに記述しながらも読者を引きつけて離さない作者の力量は驚嘆すべきだが、私は読みながら恐怖心さえ覚えた。それはおそらく落ちていく葉子を正視出来ない感情から来たものだろうと思う。
もうひとつ、この作品で驚かされたのは「とってもエロい」ということだ。不勉強ながら、明治・大正の作品にこんな赤裸々な描写があるとは思っても見なかった。下はその一部である。
このような描写が所々に顔を出す。もちろん、現代のポルノ小説ほどに直截的ではない。しかし、読み方によってはそれ以上の性描写をしていると思う。
この「或る女」の毒を抜こうとダウンロードしたのが夏目漱石の「三四郎」である。「三四郎」は学生時代を初めとして数回読んだ記憶がある。ところが情けないことに内容に関しては全く記憶がない。今回読んでようやくこんな話だったのかと得心した次第である。
夏目漱石はやはりうまい。叙述もそうだがこの作品の三四郎と美穪子の感情の機微の描写がうまい。特に「三四郎」の以下の終わり方が好きである。後に残る複雑な余韻が心地よい。
この作品を鑑賞しながら、今まで何度も「三四郎」を読んで私は何を感じていたのだと疑問に思った。おそらく何も感じていなかったのだろう。この作品はストーリーとしてはおとなしいものだ。従って、推理小説を読むようにストーリーを追うような読み方では後に何も残らないかも知れない。「或る女」で頭をがつんと叩かれたためか少しは文章を読む力がついたようである。
ついでながら「或る女」の最後も掲げておく。「三四郎」とはまったく違う、何ともいえないやり切れなさが残る最後だった。
読む前は電子書籍などよりも普通の本で読む方がきっと読みやすいと思っていた。しかし、読み始めてみるとこっちの方がずっといい。第一にフォントの種類と大きさに自由度がある。つまり「はっきりした大きな字」が選択出来るのだ。そして、手軽に読むことができる。文庫本であれば鞄などから取り出し、しおりを手繰って読みかけのページまでたどり着かねばならない。一方iPhoneだとこの操作が片手一本、指先で出来る。青空文庫のソフトを立ち上げれば直前に読んでいた作品のページが表示される。ページを繰るのも指先ひとつで済む。ソフトウェアの反応もきびきびしていている。iPhoneなので音楽を聴きながら読むことができる。メールが来れば即座に対応出来る。本を読むのに飽きたらインターネットをすればよい。ゲームが好きならゲームに切り替えてもよい。読み終え別の作品を読みたくなったらダウンロードすればよい。普通ならものの1、2分で別の作品が手に入る。多少混み合った通勤電車の中でも吊り革片手に操作出来る。こういった操作環境は私にはとても快適である。
最初にダウンロードして読んだ記念すべき作品が有島武郎の「或る女」である。この作品を選んだのは格別の理由はない。名前は知っていたが読んだことがない。有島武郎は作者名の「あ」行のリストの作家。そして「或る女」は作品名の「あ」行の作品。こういう偶然でダウンロードしたに過ぎない。しかし、読み始めて驚いた。とても明治・大正の作家の作品とは思えないほど毒々しい、あるいは生々しいのだ。この作品の「或る女」とは早月葉子という女性である。この女性が25、6歳のわずか1年ほどの、しかしすざましい話である。
「煩悩」という言葉がある。この話のヒロインは倉地という男への愛を貫くためにこの煩悩をすべて背負った人に見える。嫉妬、虚栄心、不義その他の人間としての裏の部分が葉子を通して語られる。それをあからさまに記述しながらも読者を引きつけて離さない作者の力量は驚嘆すべきだが、私は読みながら恐怖心さえ覚えた。それはおそらく落ちていく葉子を正視出来ない感情から来たものだろうと思う。
もうひとつ、この作品で驚かされたのは「とってもエロい」ということだ。不勉強ながら、明治・大正の作品にこんな赤裸々な描写があるとは思っても見なかった。下はその一部である。
このような描写が所々に顔を出す。もちろん、現代のポルノ小説ほどに直截的ではない。しかし、読み方によってはそれ以上の性描写をしていると思う。
この「或る女」の毒を抜こうとダウンロードしたのが夏目漱石の「三四郎」である。「三四郎」は学生時代を初めとして数回読んだ記憶がある。ところが情けないことに内容に関しては全く記憶がない。今回読んでようやくこんな話だったのかと得心した次第である。
夏目漱石はやはりうまい。叙述もそうだがこの作品の三四郎と美穪子の感情の機微の描写がうまい。特に「三四郎」の以下の終わり方が好きである。後に残る複雑な余韻が心地よい。
この作品を鑑賞しながら、今まで何度も「三四郎」を読んで私は何を感じていたのだと疑問に思った。おそらく何も感じていなかったのだろう。この作品はストーリーとしてはおとなしいものだ。従って、推理小説を読むようにストーリーを追うような読み方では後に何も残らないかも知れない。「或る女」で頭をがつんと叩かれたためか少しは文章を読む力がついたようである。
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by hiroi22
| 2009-01-16 00:09
| じっと思う
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