ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


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「草枕」を読む

 iPhoneで「青空文庫」の古典を読み始めていることは前に書いたが、それで夏目漱石の「草枕」を読み終えた。「草枕」は有名な「山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。」で始まる作品である。夏目漱石の作品は学生時代に有名なものは一通り読んだはずである。「はずである」というのは、自分の本棚に並んでいるし、読んだ形跡もあるが、「我が輩は猫である」などの一部を除いて、話の内容を全くといってよいほど覚えていないからだ。この「草枕」もしかり。
 今回読み直してみて、文章が難しいのに驚いた。例えば下のような文章がこれでもかこれでもかと出てくるのである。
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主人公は画工なのだが、教養が深く俳句もひねれば漢詩も作る。英語だって堪能である。その深く多彩な教養がこの作品の中にちりばめられているのだから、それを読む無教養な人間には苦痛でしかない。これでは青二才であった学生時代の私が何も覚えていないのも当然である。しかし、今回読んでみてもこの作品のテーマがよくわからない。ストーリーは温泉宿の訳ありな若い女将の話なのだが、どうも最後まで要領を得ない。結局話の要点がよくわからないままに終わってしまった感じである。難解な文章を十分理解出来ていないのと、私が理系人間ということが原因なんだろうか...。

 それにしても、学生時代にこんな本をよく読んだものだ。見栄だったのだろうか。しかし、見栄を張る相手はいなかったし、単なる自己満足だったのかも知れない。

今は懲りずに「それから」を読んでいる。自己満足はまだ続いているのである。
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by hiroi22 | 2009-02-19 23:40 | じっと思う

「或る女」と「三四郎」

 最近凝っているのがiPhoneで読む「青空文庫」。つまり著作権の切れた小説などを読むことである。「著作権が切れた」小説であるから、その多くは文豪、名の通った明治・大正の作家の作品が多いのはいうまでもない。iPhoneではその青空文庫を読むためのアプリケーション(200円〜400円弱)を購入すれば、7000以上の作品の中から無料で好きな作品をダウンロードして読むことができる。
 読む前は電子書籍などよりも普通の本で読む方がきっと読みやすいと思っていた。しかし、読み始めてみるとこっちの方がずっといい。第一にフォントの種類と大きさに自由度がある。つまり「はっきりした大きな字」が選択出来るのだ。そして、手軽に読むことができる。文庫本であれば鞄などから取り出し、しおりを手繰って読みかけのページまでたどり着かねばならない。一方iPhoneだとこの操作が片手一本、指先で出来る。青空文庫のソフトを立ち上げれば直前に読んでいた作品のページが表示される。ページを繰るのも指先ひとつで済む。ソフトウェアの反応もきびきびしていている。iPhoneなので音楽を聴きながら読むことができる。メールが来れば即座に対応出来る。本を読むのに飽きたらインターネットをすればよい。ゲームが好きならゲームに切り替えてもよい。読み終え別の作品を読みたくなったらダウンロードすればよい。普通ならものの1、2分で別の作品が手に入る。多少混み合った通勤電車の中でも吊り革片手に操作出来る。こういった操作環境は私にはとても快適である。
 最初にダウンロードして読んだ記念すべき作品が有島武郎の「或る女」である。この作品を選んだのは格別の理由はない。名前は知っていたが読んだことがない。有島武郎は作者名の「あ」行のリストの作家。そして「或る女」は作品名の「あ」行の作品。こういう偶然でダウンロードしたに過ぎない。しかし、読み始めて驚いた。とても明治・大正の作家の作品とは思えないほど毒々しい、あるいは生々しいのだ。この作品の「或る女」とは早月葉子という女性である。この女性が25、6歳のわずか1年ほどの、しかしすざましい話である。
 「煩悩」という言葉がある。この話のヒロインは倉地という男への愛を貫くためにこの煩悩をすべて背負った人に見える。嫉妬、虚栄心、不義その他の人間としての裏の部分が葉子を通して語られる。それをあからさまに記述しながらも読者を引きつけて離さない作者の力量は驚嘆すべきだが、私は読みながら恐怖心さえ覚えた。それはおそらく落ちていく葉子を正視出来ない感情から来たものだろうと思う。
 もうひとつ、この作品で驚かされたのは「とってもエロい」ということだ。不勉強ながら、明治・大正の作品にこんな赤裸々な描写があるとは思っても見なかった。下はその一部である。
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このような描写が所々に顔を出す。もちろん、現代のポルノ小説ほどに直截的ではない。しかし、読み方によってはそれ以上の性描写をしていると思う。
 この「或る女」の毒を抜こうとダウンロードしたのが夏目漱石の「三四郎」である。「三四郎」は学生時代を初めとして数回読んだ記憶がある。ところが情けないことに内容に関しては全く記憶がない。今回読んでようやくこんな話だったのかと得心した次第である。
 夏目漱石はやはりうまい。叙述もそうだがこの作品の三四郎と美穪子の感情の機微の描写がうまい。特に「三四郎」の以下の終わり方が好きである。後に残る複雑な余韻が心地よい。
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この作品を鑑賞しながら、今まで何度も「三四郎」を読んで私は何を感じていたのだと疑問に思った。おそらく何も感じていなかったのだろう。この作品はストーリーとしてはおとなしいものだ。従って、推理小説を読むようにストーリーを追うような読み方では後に何も残らないかも知れない。「或る女」で頭をがつんと叩かれたためか少しは文章を読む力がついたようである。
 ついでながら「或る女」の最後も掲げておく。「三四郎」とはまったく違う、何ともいえないやり切れなさが残る最後だった。
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by hiroi22 | 2009-01-16 00:09 | じっと思う

何じゃこれはの「逆説の日本史」

 知人が読んでいるというので井沢元彦の「逆説の日本史」(文庫本)を求めた.長い歴史シリーズ物なのでどの巻にしようか迷ったのだが,まあ初めがよかろうと第1巻を買った.ところが序論から読み始めてびっくりした.いい加減さが暴走しているのだ.この馬鹿馬鹿しさについていけず,結局「序論」を読んで放り投げてしまった.こんないい加減な論理を操って悦にいっている著者のものはこれ以上読んでも無駄なだけである.あ〜あ本代を無駄にしてしまった.
 こんな本が何で売れるんだ?と疑問に思ってGoogleで検索したらやっぱりありました「逆説の日本史批判」.たとえば:
 納得できない『逆説の日本史』
これはわりと歴史学的な立場で具体的に批判されています.私はそういう歴史的な知識は貧しいのでどちらかといえばこちら:
 逆説の日本史の逆説
に我が意を得たりという感じがします.もっともこの方は私よりも先まで読み進んだ上で批判されています.とてもじゃないが私にはそんな忍耐力はありませんでした.002.gif とりあえず私が読んだ短い範囲内で「何じゃこれは?」と思える部分を拾っていきます.
1)井沢氏は学会の「実証主義」「資料中心主義」を批判しています.しかも声高に.しかし,彼のいう「実証主義」「資料中心主義」とはどこまでを指しているのかわかりません.歴史,特に時代を遡れば手に入る資料・データは当然少なくなります.当然,一般に歴史において「実証主義」「資料中心主義」といっても自ずと限界があるのは明らかです.したがって口角泡を飛ばして「『実証主義』『資料中心主義』はけしからん!」といっても鼻白むだけです.乏しい資料から当時のことについて仮説を立てるという作業は,別に井沢氏に言われなくても,考証の過程でなされていることだと思います.逆に井沢氏に問いたいのは,資料なりデータなしで得た結論にどのように説得力を持たせるのか,ということです.「俺が考えたことだから正しい」では学問になりません.
2)井沢氏は「怨霊・呪詛が科学の対象となっていない」とお怒りである.さあてホントにこれが科学の対象になっているかどうかは私は知らない.しかし,その例としてあげたものが噴飯ものなのだ.氏は
「写真というものは印画紙,単なる紙である.しかし,自分の母親の写真は踏みにじることは(普通の人間なら)出来ないだろう.だからその写真には『臨在感』というものがあるのだ.この存在を認めなくして何の科学があろう」
と主張するのだが,はあ?正気か?「臨在感」という結構なものがあったとしてもそれは個人の心の中の存在.「紙」のような物理的な存在と比較する出来るものではない.それとも井沢氏は暗闇で母親の写真が落ちていたとしても,その「臨在感」とやらで見えなくても写真を踏まずにすむのだろうか.これはもうオカルトの世界である.
3)この序論の終わりで井沢氏は「江戸時代百姓は年貢として米を武士に取られて雑穀しか食べることができなかったと唯物史観の学者がよく主張するのはイデオロギー史観だ」と主張する.私はそういう唯物史観の主張は知らないが井沢氏はこの主張に「数学的に」反証している.これがまた信じられない論理なのである.まず彼は尺貫法から切り出す.彼によれば:
a) 一坪に始まる面積の単位はその広さで取れる米の量から決まっているという.
b) そしてそれはその広さで取れる米で人間を養える量が元になった単位という.
c)石高とはその広さの土地で取れる米の量の総和である.
ふ〜ん,そうなんだである.しかし当然これは荒っぽい見積もりであることは言うまでもない.a)でも同じ面積でも土地が肥えているかそうでないかで取れる量は違う.b),c)でも誰が食べるかで養える量は違う.だから彼の数字を信じたとしても「1万石というのは人間1万人を1年間食わせていける農業生産がある」という主張は“完全に正確”というものではない.しかしまあそれは概数で認めよう.ただし「数学的」には彼のご託はなにも目新しいことを語っていない.簡単に言えば「石高というものは領地の田圃の面積を表す.田圃の面積は米の生産量にほぼ比例する」という当たり前のことで済む.後は単位の変換の問題に過ぎない.非本質的なことで知識をひけらかせているのは気に食わないがそれを除けば大したことはない.問題はこの後である.私は次の文を見てひっくり返った.

「たとえば日本の国の総石高が仮に二千万石だとしよう。すなわち農業人口も二千万ということになる。」(p. 74第2〜3行)

・・・何言ってんのぉ?“田圃の面積=農業人口”って一体どこから出てくるんだね?こんな公式が成り立つのならこの世に食料問題は存在しない.これは

「アフリカの食料生産用の土地はXヘクタールある.(これはY人の人間を養える広さなので)したがってアフリカの人口はY人である」

と言っているのと同じである.さすがにこんなことを平然と書くとは信じられなかったので,どこか読み落しがあったのではないかと探してみたのだがーーーない!!この時点でワタクシはこの本を放り投げました.こんな論理を振りかざしているようでは何を書いてもでたらめだし,この先ついていけませんわ.

 実はこれ以外にもまだまだ突っ込みところはあるのである.70ページほどの序文でこれだけのヒドさなのである.参った参った.008.gif
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by hiroi22 | 2008-11-29 21:57 | じっと思う

「岡潔」を読む

岩波新書で先頃出版された
「岡潔ー数学の詩人」
を読んだ。タイトルからは岡潔の伝記風に見える。確かにそういう面もあるが,この本の多くは彼の数学とその研究生活の叙述に費やされている.
岡潔の数学研究は戦前に始まり戦中を経て戦後10数年続いた.専門は多変数函数論である.この本は彼の研究生活とその研究について,残された資料や彼を知る人の話を元に丹念に綴っている.著者の慎重な記述は、岡潔の研究の道筋を辿り、われわれはそれによって岡潔の深い思索に想いを馳せることができる。大変な力作と思う.しかし残念ながら万人に薦められるものではない.この本の根幹である岡潔の数学の説明部分が難しすぎるのだ.擬凸状領域、正則領域。こういった概念の理解がなければ、岡潔が取り組んだハルトークスの逆問題は理解できない。その他にも、クザンの第二問題であるとかイテレーションの理論であるとか、一般人には未定義用語がこれでもかと現れる。こういう数学の知識がなくとも雰囲気は感じることができるかもしれないが、意味のわからない言葉が混じった文章が延々と続けば多くの人はまるで電話帳を読むような味気なさを感じるのではないだろうか。彼が発見した数学の偉大さを感じることができなければ、著者の叙述もどこか空回りするのではないかと恐れる。
そういう本筋の話とは別に、所々に顔を出す岡潔のエピソードは面白い。岡潔は希代の変人である。したがって,そのエピソードも奇行と言えるようなものが多い.例えば,京都から和歌山の実家へ帰るはずが,「鳴門海峡を見たい」という気持ちが起こって突然淡路島へ渡り,そこで身元が怪しいということで警察に保護されたという話や,広島文理大学講師時代,論文が掲載された直後に夜間中学生を理由なく襲撃した不可解な事件などがある.その一方で、フランス留学時代に書いた論文が、当時の著名な数学者ダンジョワと同じもの扱っており、しかしダンジョワと正反対の結果であったこと。つまり岡潔の論文が間違っており、「耳まで真っ赤になり」恥じ入った話なども挿入されており、ホッとする気分になる。
 岡潔の生き様がそうなのこも知れないが、この本全体に真実に対して厳しく向き合う岡潔の姿勢と情熱が感じられる。折に触れて読み返したい本だ。

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by hiroi22 | 2008-11-11 22:51 | じっと思う

「ビルマの竪琴」を見る

 僕はもうあきれるほど文学的な素養というものがない.小説なども読むことはあるが,いわゆる文学作品よりも推理小説や血湧き肉踊る冒険小説(ジャック・ヒギンズなんか好きだなあ)に夢中になるタチである.夏目漱石なども一通り読んだのだけれど,何度読んでもすぐに中身を忘れてしまうのである.我ながら情けない.そういう僕が今日NHK BSで放映されていた映画「ビルマの竪琴」(1956年 市川崑監督)を見た.
 この小説は,少年時代,たぶん小学高学年,に読んだ記憶があり,ストーリーはだいたい覚えていた.水島上等兵のせつない話だ.映画自体も原作通りの雰囲気で展開されていた.しかし,一番最後にちょっと以外な場面に出くわした.日本に帰る船の中で,一人の兵士がビルマに残る水島上等兵について,
「自分はこれまで水島上等兵のことはそんなに気にしていなかった.彼の手紙は彼の家族が読んだらどう思うだろう,と考えた」
といった趣旨のナレーションが挿入されたのだ.しかも,これがこの映画の最後の場面だった.
 竹山道雄の原作の小説は,一言で言うと感動秘話,みたいな印象だった.こんな場面は原作にあったのだろうか.昔読んだ話なので記憶にない.あったかも知れない...例によって忘れた....
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それはともかく,この映画のこの最後のシーンはどうとらえたらよいのだろうか.一人の兵士の少し引いた視点から物語を総括している,そんな印象を持ってしまった.
 初めに言ったように,僕は文学的な感覚というものは全くない.だから,この印象すら正しいものかどうかもわからない.そして,仮にこの印象が正しいとしても,このシーンの持つ意味が分からないのである.
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by hiroi22 | 2008-03-11 00:14 | ずっと思う

ナマケモノも一気読み

 先日書いたように,ソフトウェアをアップグレードしたiPod Touchは便利である.特に今の時期は重宝する.寒い朝,ベッドに潜り込んだまま,メールのチェック,インターネット,今日の天気予報・スケジュールの確認などが出来るのだから.ベッドで布団にくるまりながらiPod Touchをくるくる操作している様は,よく考えると我ながらとんだナマケモノである.こんなナマケモノの僕でも,2日間で一気読みしてしまったのがこの本.
「戦争」に強くなる本(ちくま文庫)
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 この本の中身は,15年戦争(=アジア太平洋戦争)を理解するための参考文献を解説付きで紹介するという体裁をとっている.無論,単なる読書案内ではなく,著者の丁寧な議論による歴史と戦争に関する見解がちりばめられている.ここに紹介されている史実とともに,著者の見解がなかなか面白いし,説得力もある.著者は時おり茶目っ気も出して,いささかやけっぱち気味の言辞だが,「すぐ難しいことを言い出すのが左翼で,意味もなく騒ぐのが右翼」などというのには思わず笑ってしまった.
 僕も,15年戦争については人並みに本は読んできたつもりだ.この本に紹介されている事柄については,初めて知ったこともあるが,既知の事柄についても新しいデータで再確認させてもらったことも多い.例えば,先の戦争で亡くなった旧日本軍の犠牲者は230万人と言われているが,その中で実際に敵の攻撃や軍艦の沈没などで亡くなった数は100万人程度だということを知った.では,残り半分以上130万人はどうして亡くなったかと言うと,病死と餓死だというのだ.インパール作戦やガダルカナル島などでの旧日本軍の受験秀才参謀による愚かな作戦については認識していたつもりだが,このような数字を見せつけられるとその感をより深くする.初めて知ったことでは,零戦は製造工場で組み立てられた後,一度分解して牛車(!)で飛行場まで運ばれていったということだ.零戦についての読み物は一時熱心に読んだことがあるが,こんなことは知らなかった.どうして牛車で運ばねばならなかったかは,この本を読んで欲しいが,もともと工業力に雲泥の差があったアメリカ相手に,こんなことをしていては勝てんなあ・・・.
 この本は,上のように旧日本軍に対する強烈な批判だけでなく,戦前の日本の社会そのものの分析も鋭い.例えば,戦前の日本=ファシズムという図式は,ファシズムの起源から掘り起こして明確に否定しているし,東条英機に対しては,敗戦というものが彼によってもたらされたというよりも,「東條ごときがトップになれる,日本型無責任システム」という形で断罪しているのもユニークだ.むろん,彼の経歴や当時の軍の人事などを検証した上での論である. 
 「日本型無責任システム」という言葉もそうだが,この本で問題視されている多くのことが現代日本でも当てはまると思う.その意味から,この本は単なる歴史の解説書という以上のことが学べると思う.
 著者も指摘しているが,無知による粗雑な戦争論が横行している.そんな粗雑な漫画戦争論に毒されたお方にも読んで欲しい本だ.むろん,この本の主張に同意するしないは自由である.しかし反論するならばきちんと理由を述べることだ.何かを主張するにはその理由を必ず述べること(by Finlandの教育).

 最後に,自分の日記として,この本を買ったいきさつを書き留めておく.
 ここ数日の寒さに耐えかねて,ニットの帽子を買おうと決断した.そこで近くのショッピングセンターへ行って,いくつか試着したが,ニットの帽子をかぶった自分の情けない顔を見て購入を断念し,帽子なしで寒さに耐えることを決めた.しかし,せっかくここまで来たのだからと,近くの本屋をブラブラ.そういえばと,中学のときに図書館で見つけて夢中になった吉川英治の「三国志」でも買おうと思ったが,文庫本の第1巻が売り切れ.ならばと(どういうわけだか)瀬戸内寂聴訳の「源氏物語」に目がいった.さて,それを買うものかどうかと逍遙しているうちにこの本を見つけた.結果,源氏物語も買って,何だか180°違った文庫本を買うという奇妙な買い物になってしまった.
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by hiroi22 | 2008-01-22 00:19 | ずっと思う

福祉国家にクラクラ

 週間東洋経済1月12日号のcover story”格差なき成長は可能だ!「北欧」はここまでやる。”を読んだ.読みながら頭がクラクラしてきた.どこから感想を述べればよいのだろうか....高福祉社会に暮らすということは,かくも安心で人間らしい生活が出来るのかとただただ驚いてしまうばかりだ.とにかく順不同で中身を列挙してみる.
・子供の数に応じて住宅手当が支給される.2人目の子供がうまれた時に広い家に転居すれば住宅手当がもらえる.(スウェーデン)
・一人当たりのGDPは北欧4カ国は全て日本より上.最上位のノルウェーは日本の2倍近い.
・所得の再配分による格差解消.
・子育て,教育,医療に手厚い(北欧各国)
・高齢者の自立を基本にした,きめ細かいケア(スウェーデン)
・徹底した男女平等(北欧各国)
・北欧の労働者は残業をほとんどせず、夏期には1ヶ月の休暇を取る.

書き出したらきりがない.直接このcover storyを読んだ方が早い.福祉に関しては日本の現状からは「ケタはずれの厚遇」としか言いようがない.しかも経済的に大きく躍進しているのだ.そこに挙げられている統計数字を見るとため息が出る.
 確かに税金は高いだろう.しかし、それでよいではないか.それによってみんなが安心して働け、退職後の生活も保証され,そして自ら望めばふさわしい教育も受けられるのならば.
 欧米をキャッチアップすることに邁進してきた日本は,何のために働くのか,人間的な暮らしとは何か,そのことを今考えなければならないのではないかと思う.
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by hiroi22 | 2008-01-17 00:12 | ずっと思う

歴史修正主義者たちよ、恥を知れ

 安倍内閣はひどい内閣だった.その悪行の一つが高校の教科書検定で沖縄戦での住民の集団自決の軍の関与が削除されたことだ.これに抗議して,沖縄で大規模な集会が開かれた.
<沖縄>集団自決で検定意見撤回求め県民大会 11万人参加
 太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団自決を巡る文部科学省の教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会が29日、宜野湾市の宜野湾海浜公園であり、約11万人(主催者発表)が参加した。超党派の大会としては、約8万5000人が参加した95年の少女暴行事件に抗議する大会を大幅に上回り、歴史認識を巡る沖縄と政府の対立軸が改めて鮮明になった。大会は旧日本軍の命令、強制、誘導などの表現が削除された教科書検定を厳しく批判。検定意見の撤回と集団自決を巡る強制性の記述回復を求める決議を採択した。
 従軍慰安婦問題も同根だが,被害者の声,歴史的事実から目を背けて都合のよい主張に歴史を改ざんする歴史修正主義者たち.沖縄の人達の声を聞き,自らを恥ずべきである.
 安倍前首相はこの検定意見について,当時こういう風に述べていた.
(2007/06/23 琉球新報)安倍晋三首相は23日午後、沖縄全戦没者追悼式出席後、記者団の質問に答え、沖縄戦の「集団自決」への軍関与を削除した文部科学省の教科書検定について「これは(文科省の)審議会が学術的観点から検討している」と述べ、検定の撤回は困難との認識をあらためて示唆した。
 ところが,この「美しい国」を標榜する人間は,こんなことを言いながら住民に対して後ろを向いて舌を出していたのだ.(↓)
[集団自決]軍の関与削除に「つくる会」関係者が関与
教科書改竄の「黒幕」(9月30日追記)
 「新しい歴史教科書・改訂版」(扶桑社)の監修者と同じ研究グループに属していた人物が日本史を担当した教科書調査官の一人だったのだ.とんだ「学術的観点からの検討」である.さすが歴史修正主義者安倍晋三でなければ出来ない言動といえる.

 結果的に,歴史修正主義者たちへの体制側からの批判となっている本がこれ,白州次郎「プリンシプルのない日本」という本.d0007533_22234243.jpg出張に出かける時に新幹線の中で読もうと思って買った本だ.タイトルが気に入った.
 著者の白洲次郎という人は戦後吉田茂の下で働き,そのあと東北電力の会長になった人である.彼の略歴を見れば分かるが,いわば体制側の人間であり,若くしてケンブリッジ大学に留学するなどエリートでもある.この本は戦後十年くらいの日本の政治・経済を中心とした社会情勢について,白洲次郎の忌憚のない意見が綴られている.その意見についてはここでは言及しない.同意できることもあるしそうでないこともある.しかし,この本を読んで面白いことは,戦前戦後の日本の雰囲気が分かる事だ.
 白洲次郎はこの本の中で,先の戦争は馬鹿げた戦であったと繰り返し述べている.また,アジア諸国での反日感情は強く,戦後の日本の人たちは「みんな,もう戦争はこりごりだ思っている」とも述べている.さらにこの本の中で彼が悲憤慷慨する戦後日本の惨状は,戦争中に外地で一部の日本人が行なった乱暴狼藉の罰なのかも知れないと書いている.
 彼が馬鹿な戦争と断定した太平洋戦争から60年経って「歴史修正主義者」と呼ばれる人達が目につくようになってきた.先の戦争は自衛のものであり,彼がひどいことを行なったと書いた旧日本軍は聖人君子の集団であったと彼らはいうのである.ゆえに犠牲者・被害者は本質的に存在せず,犠牲者・被害者と称するのは嘘つきであり,「反日」というのはいわれのな言いがかりに過ぎず,謝罪の必要なしと主張する.否,仮に不届きな行為があったとしても,それは「他でもやっていた」行為であり,日本軍に全く罪はない.犠牲者・被害者のことなぞは知らない,という論理を振りかざすのである.
 こういう人達の言動を見て白洲次郎はどう思うだろうか.彼らの歴史の歪曲ぶりに呆れる事は間違いない.白洲次郎は思いやりのある人である.犠牲者・被害者の痛みがわからない彼らに怒りをぶつけるかも知れない.また,一時的にせよ歴史修正主義者安倍晋三が内閣総理大臣に就任したことも恥ずべきことを思うことだろう.
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by hiroi22 | 2007-09-29 22:47 | ずっと思う

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