ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


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どうも危ない中国

 私のところに今中国から若い人が来ている.彼はとても真面目で熱心で,私のところにいる同世代の日本人たちのよい刺激になっていると感じている.英語も恥ずかしいことに私より彼の方がうまい .008.gif
 ところが彼の母国がどうも騒がしい.チベットでの争乱とその弾圧.また,台湾の総統選挙がらみでも波風が立っているようだ.北京オリンピックでは北京の大気汚染が問題視されている.国内の経済格差拡大ももちろん問題だし,おそらく公害も深刻ではないかと想像される.半年ほど前の,高い経済成長を誇り,北京オリンピックの開催を控えて,国際社会で飛ぶ鳥を落とす勢いに見えた状況からは想像もできない現状だ.
 日本でも60〜70年代,高度経済成長の負の遺産とも言うべき深刻な公害に見舞われ,公害列島とさえ言われた.今の日本の空気が比較的きれいで,川の水も相当回復したのは,その頃の試練を何とか克服したことにある.これは企業の努力,法整備などはもちろん,公害撲滅に立ち上がった市民運動の功績が大きい.業者擁護,事なかれ主義のお役所を市民運動が動かし,環境庁が発足するなど,日本中が大きく動いたのだ.振り返ってみれば,ともかくも公害撲滅にはうまくやったといえる.もちろん,それにたずさわった人達の努力には,われわれは感謝しなければならないと思う.
 さて,そういうことに照らしてみると,何だか中国政府の対応は悪い.チベットの争乱にしても,武力で一方的に鎮圧するとは時代錯誤もはなはだしい.平和の祭典たるオリンピックに暗雲が立ちこめるのは必定だろう.

 あれだけの大きな国土と人口を抱える国である.冒頭に挙げた彼のような知性を持った人物も多いだろうし,大きな可能性を持った国だと思う.しかし一方,国土と人口が過度に大きくて,現在のように中央集権的体制でうまくいうのかという疑念はいつも持っている.現在の状況にしても,日本が友人としての信頼関係があれば,何らかのアクションは起こせるとは思うが,たぶん今の関係では無理だろうなあ....
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by hiroi22 | 2008-03-20 00:12 | ずっと思う

教育談義

 知人(=女性)と話をしていて,教育の話題になった.彼女は「受験勉強」必要派として、その種の強制的な勉学が,日本人の基礎的な知識・教養の習得に役に立っているのではないかという意見だった.彼女のアメリカでの生活体験に照らしてみて,一般にアメリカ人は日本の普通の人よりも読み書きそろばんから始まる基礎的な知識に劣るというのがその例証だというのである.
 確かにその意見には肯んずるところもある.しかし,その弊害に目を向けたとき,トータルとして有効なのかどうかは疑わしいと思っている.以前フィンランドの教育について書き留めた(フィンランドかぁ...(3))ことばをもう一度掲げよう.
 「競争させて順位をつけて、何かいいことがありますか」。フィンランドセンターのヘイッキ・マキパー所長は話す。「下の子はやる気をなくし、上の子は自分が優秀だと思いこむ。どちらの人生にとってもいい影響は与えないでしょう」
 人間の成長には個人差がある.ちょっとした環境が,その人の学習意欲に影響を与えることがある.今のシステムでは,中学高校でいわゆる有名校を外すと,その後の人生でその遅れを回復するのは多大な労力が必要だ.いわんや,いわゆる「落ちこぼれ校」に入ってしまったのならば,将来の展望は大きく制限されるだろう.つまり,生涯のほんの短い時代の成績というものが決定的な役割を果たしてしまうのだ.先に述べたように,「人間の成長には個人差がある」ということにもかかわらずである.
 こういう状況は個人の人生を考えた時によくないだけでなく,社会全体の観点から見ても弊害が大きく,変えるべきシステムだと思う.例えば,小中学校で落ちこぼれであったとしても,実は晩成型で人並みはずれた能力を秘めた人間かも知れないのである.中学高校時代,のんびり過ごして三流校に甘んじていた人間でも,ノーベル賞級の才能があるかも知れないのだ.そういう人がしかるべき教育を受けていたら,社会に大きく貢献できる仕事ができるだろう.ところが,今のシステムでは,彼または彼女がそういうことに恵まれる機会はほとんどあるまい.これはわれわれの社会にとって大きな損失ではないだろうか.
 こういうシステムもさることながら,教育内容というものも問題だ.先日(3月2日),朝日新聞にフィンランドの教育の記事が載っていた.これは2月下旬に大阪でおこなわれた朝日教育セミナーの講演を中心とした記事だが,その中で学習到達度調査(PISA)をおこなったOECDの事務総長による日本の教育に対する痛烈な批判が紹介されていた.OECDのグリア事務総長曰く:
(日本の教育は)多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に適した人材育成.
 つまり日本の教育は時代遅れの価値観でなされているというのだ.
 その記事では,「日本の子供は,善悪の判断ができ,一つしかない答えはわかる」一方で,「判断がつかない,理解不能な意見を前にすると何も言えなくなる」と述べ,「都合の悪い意見でもそういう考えの人が世の中にいて,両方の意見をつき合わせて考えるべき」という点が弱いのが日本の学びだと言う.確かに短時間で答えを出す訓練ばかりが幅を利かせる受験勉強では,物事を根源的に考えたり,多面的に見るということは軽んじられるだろう.
 ある信頼すべきお手本があり,それに追いつくための教育としては今のような内容が効果的かも知れない.しかし日本がフロントランナーとなり,手本とすべき相手がいない立場になれば,自分で考えなければいけない.もはや答えなど用意されていないからだ.

 こういった状況を変えるには,まず第一に教師の質を向上させなければいけないのは言うまでもない.しかし,安倍内閣の教育再生会議のように教師を縛り,その自由を排除する姿勢ではダメである.これは教育現場においても同様である.また,一クラスあたりの生徒数も減らし,教師の雑用も減らして,きめの細かい教育を可能にする制度が必要だ.もう一つ,教育内容に関して言えば,いろいろな改革に先んじて大学入試の改革を先行すべきだろう.どんなによい教育でも大学入試に役に立つかどうかいう一点で評価されてしまう.こういう風潮は問題であるが,それを変えるよりも大学入試の方式をよりよい教育が認められるものに変えるべきだ.
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by hiroi22 | 2008-03-13 01:25 | じっと思う

「ビルマの竪琴」を見る

 僕はもうあきれるほど文学的な素養というものがない.小説なども読むことはあるが,いわゆる文学作品よりも推理小説や血湧き肉踊る冒険小説(ジャック・ヒギンズなんか好きだなあ)に夢中になるタチである.夏目漱石なども一通り読んだのだけれど,何度読んでもすぐに中身を忘れてしまうのである.我ながら情けない.そういう僕が今日NHK BSで放映されていた映画「ビルマの竪琴」(1956年 市川崑監督)を見た.
 この小説は,少年時代,たぶん小学高学年,に読んだ記憶があり,ストーリーはだいたい覚えていた.水島上等兵のせつない話だ.映画自体も原作通りの雰囲気で展開されていた.しかし,一番最後にちょっと以外な場面に出くわした.日本に帰る船の中で,一人の兵士がビルマに残る水島上等兵について,
「自分はこれまで水島上等兵のことはそんなに気にしていなかった.彼の手紙は彼の家族が読んだらどう思うだろう,と考えた」
といった趣旨のナレーションが挿入されたのだ.しかも,これがこの映画の最後の場面だった.
 竹山道雄の原作の小説は,一言で言うと感動秘話,みたいな印象だった.こんな場面は原作にあったのだろうか.昔読んだ話なので記憶にない.あったかも知れない...例によって忘れた....
007.gif
それはともかく,この映画のこの最後のシーンはどうとらえたらよいのだろうか.一人の兵士の少し引いた視点から物語を総括している,そんな印象を持ってしまった.
 初めに言ったように,僕は文学的な感覚というものは全くない.だから,この印象すら正しいものかどうかもわからない.そして,仮にこの印象が正しいとしても,このシーンの持つ意味が分からないのである.
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by hiroi22 | 2008-03-11 00:14 | ずっと思う

あきれたお話--がんばれ産経(その2)

 世の中にはトンデモ科学というのが存在する.そういう類いをジョークとして評論している本まである.トンデモ科学であろうが何であろうが,公序良俗に反しない限り,別に何を書いて出版しようが自由でお笑いのネタになるだけなので,いっこうに構わないのだが,そういったアホな話が全国紙の論説欄に掲載されるとなると
「ちょっと待ってぇな!」
と言いたくなる.インターネットで暇つぶしをしていて見つけたその仰け反らんばかりのアホな話というのがこれである.
【正論】竹内久美子 京都で共産党が元気なわけ
天下に高名を轟かせている(どんな高名やねん)産経新聞の「正論」(この名前もスゴイ.まさに天上天下唯我独尊の風景.)という論説欄に載ったものらしい.
 この論説,先の京都市長選挙で共産党の推す候補が当選寸前まで得票したことの分析(?)らしい.何でもこの分析とやら,京都市民のルーツを持ち出して論じようというのだから,もうその姿勢をうかがっただけで眉唾もの.すなわち,
しかし私は、京都が渡来人の本場だという観点から説明してみたい。
ときたもんだ.「京都が渡来人の本場」だそうです.アハハ,いったいいつの話やねん!?京都が渡来人の本場なら,むろん奈良は渡来人のメッカやね?さぞかし共産党が元気なことでしょう.
それでもって,
 日本人のルーツは大きく2つある。
 今から1万年くらい前、現在のインドネシアのあたりなどからやってきた縄文人。紀元前3世紀から紀元後7世紀くらいまでの間に、朝鮮半島経由で五月雨式にやってきた渡来人。
とご高説を宣うのだが.....え〜っと,日本人のルーツってそんなに自信満々に語れるほど確かなんですかぁ?知らんかった.それに,お説によれば日本人=縄文人+五月雨式にやってきた渡来人?何じゃ,ほとんど縄文人?初耳じゃ.そして,この両者を
暖かい地方と寒い地方という正反対の気候条件下で適応を遂げた両者
と二分法で括って論じるのである.見てきたようなウソを言うとはこのことである.
 彼女の妄想はさらに広がって
 気候が温暖な地方では女が免疫力の強い男をより欲し、気候が寒冷な地方ではあまり免疫力を問わないのだ(女がいったい、男の免疫力のほどをどうやって見抜くかだが、実はそれこそがルックスや声、スポーツの能力など、男としてカッコいいか、魅力があるか、なのである)。
とまあ,無茶苦茶でございます.ルックスや声がよければ免疫力が高いんだって!スポーツができれば免疫力は高いのかい?そもそも,古代にスポーツはなかったし.
このあともエンジン全開.これでもかと言わんばかりのご高説を披瀝して下さいます(そのお笑いどころは皆様各自でご確認あれ).そして
 京都は秦氏などの渡来人が開拓した土地で、その末裔(まつえい)が今も一大勢力をなしているはずだ。
とはまた.....「はずだ。」とは何?「はずだ。」とは!偉そうにいうんやったら
ちゃんと確かめてから言わんかい!
いかん,いかん,冷静な私としたことが思わず興奮してしまいました.
008.gif
 それにしても,こんな論説を読まされる産経新聞の読者は可哀想でございます.朝日新聞じゃこんな記事は即没でしょう.産経新聞の編集部はどこを見ているのだ?これが入社時における産経と朝日の偏差値の差だとしたらおじさんはとっても悲しいぞ.

 この記事を書いた竹内久美子というおばさんのことを調べて,またまた驚いてしまった.
竹内 久美子 (たけうち くみこ、 1956年 - )はエッセイスト。愛知県生まれ。1979年(昭和54)京都大学理学部卒。同大学大学院博士課程で日高敏隆教室に在籍し、動物行動学専攻。その後はエッセイスト。
いろんな意味で絶句.少なくとも自然科学という分野にかかわって大学院まで進学した人物がこのような文章を書くとは....居酒屋でいやがられるおっさんの話の方がまだましというものです.日高センセいったいどういうご指導をされてましたぁ?
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by hiroi22 | 2008-03-07 22:54 | じっと思う

PiTaPa買いました

 僕は仕事で,関西には1年に数回必ず訪れる.年によっては10回近くになることもある.そのときに電車・バスなどを利用する際には「スルッと関西」というプリペイド式のカードを使っていた.これは関西のすべての私鉄・地下鉄で使えるので便利なのだが,JR西日本では使えない.Suicaを使わないといけない.この種のプリペイドカードは切符を買う手間が省けるのは便利なのだが,2種類のカードを使っていては,使い分けるのは面倒だし,Suicaは残金のことを気にかけないといけない.そんな折,PiTaPaの広告が目にとまった.
 うかつな話だが,関西在住でない僕がPiTaPaを購入しても十分有用だということに,そのとき初めて気がついた.どうも,Suica=定期券という思い込みがあり,鉄道のICカード=その地域在住専用という決め付けをしてしまっていたようだ.僕にとっては思考の盲点だった.
 それでさっそくPiTaPaのことを調べてみたところ,ちょっとした驚きの連続であった.はじめに腰が引けたのは,PiTaPaは基本はクレジットカードと併用だということだった.今でもクレジットカードは(用もないのに)たくさん持っているが,原則として年会費は無料なものしか持たない.PiTaPaのは年会費を取るだろう・・・と思っていたら,なんと
>PiTaPaは入会金や年会費、デポジット(預り金)が一切不要です。
とある.正確には「1年間に1度もPiTaPaのご利用がない場合は、PiTaPa維持管理料としてカード1枚あたり1,050円(含む消費税等)が必要となります。」ということらしい.
なんだ,使えば結局無料ということである!クレジットカードも同様で,結局タダ同然!
 さらに驚いたのは,上にも書いてあるがデポジットは無料で,
>PiTaPaは「ポストペイサービス」でお客様のご不便をなくしました。
つまりは
チャージの心配から解放された(ただしJR西日本は除く)
ということなのだ.これは便利.しかし,これだけではない,一番感激したのはこれ.
>交通のご利用実績に応じて、さまざまな割引サービスを受けられます。
年数回程度の出張で使うぐらいではたいした割引にはならないだろうが,それでもこういう姿勢が素晴らしい.
あっぱれ関西商人!
Suicaなぞはプリペイド式で,利用者からあらかじめ現金を巻き上げておきながら,運賃割引などは一切ない.PiTaPaはその点,割引があるし,しかもポストペイ(後払い)なのだ.すばらしい.まったく,利用者に前払い&チャージさせてふんぞり返っているSuicaはこの姿勢を見習って欲しいものだ.ということで,速攻で申し込みをして,昨日カードが届いた.大阪人なら憧れの阪急・阪神提携のスタシアカードでございます.
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 PiTaPa事業のいきさつについては,2年前の記事だが,
PiTaPaはなぜ“ポストペイ方式”なのか――スルッとKANSAIに聞く
が面白い.その記事にある,
 松田氏は磁気式プリペイドカードが判明した、プリペイド方式へのお客様の不満として大きく5つを挙げる。

1.カードの残額が少なくなると使えなくなり、乗越精算機の利用が面倒
2.カードは前払いにも関わらず、割引やおまけがない
3.カードが駅構内の売店や公営施設などの支払いに使えない
4.カードが他の交通機関で利用できない
5.回数券と定期券でどちらが得なのか分かりにくい。利用後、損をすることがある

2年前の記事なので,3と4はSuicaでも改善されているが,1,2,5は今でも不満なところである(オートチャージのように勝手にお金を取られるのは嫌い).
 その記事を読むとPiTaPaは一面苦肉の策の所もあったようだが,大胆とも言える発想でGood Job!
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by hiroi22 | 2008-03-02 11:05 | ずっと思う

聖徳太子--知らなかったのは私だけ?

 以前にも書いたのだけれど,僕の高校時代の日本史の先生はなかなかユニークだった.とにかく授業では,ことあるごとに“常識”を木っ端微塵にしてくれるのだった.曰く,
「吉田松陰?あいつはトンデモナイやつで・・・」
「堺の仁徳天皇陵?あれはウソ.あそこには何もありません.」
「水戸光圀?あいつは不良.」
「邪馬台国なんてありません.魏志倭人伝は白髪三千畳の中国人の書いた大法螺.信用したらあきません.」
等々.歴史上の有名人,偉人をバッサリ切ってくれるので,悪童どもは授業そっちのけで大喝采.その先生自身,高校教師ながらも考古学者として当時から有名で,のちにある大学の教授として迎えられるほどの実力の持ち主だったので,聞き耳を立てていたわれわれ生徒もそれなりの信憑性を感じていた.おかげで世の中の既成概念を無批判に丸ごと受入れるなどという姿勢から脱却出来たと思っている.彼にとって,むろん”万世一系”の天皇制とて容赦はなかった.
 こういった懐かしい日本史の授業の雰囲気を思い出させてくれたのが,昨日の中日新聞の社説だ.
書き換わる聖徳太子像 週のはじめに考える
ちょっと引用してみよう.
 実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。
 聖徳太子を知らない日本人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末から七世紀前半の飛鳥時代、日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日本の国力と文化を飛躍的に高め世界の先進国入りさせていった皇太子です。
 「和を以て貴しと為す」との教えや貧しい者への優しい眼差(まなざ)し、太子の言葉とされる「世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」の無常観などは、いまも人の心にしみて揺さぶります。
 常識になった非実在
 もっとも、一時に八人の訴えを聞いて誤りなく裁いたことから、八耳皇子(やつみみのみこ)と呼ばれたとの伝承や生まれたときから言葉を話し高僧の悟りに達していたとの伝説、その未来予知能力や中国の高僧の生まれ変わりで、最澄は玄孫などの輪廻(りんね)転生の説話などには訝(いぶか)しさを感じさせるものではありました。
 誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。ところが、積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、どうやら決定的らしいのです。
 びっくりした.聖徳太子はいなかったというのだ.太子の有名な業績についても次々と否定されているらしい.
 このうち十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、戦前に津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論、早大を追われたのは有名です。
 三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです。
 世に知られた法隆寺の釈迦(しゃか)三尊像や薬師如来像、中宮寺の天寿(てんじゅ)国●帳(こくしゅうちょう)も、その光背の銘文研究や使用されている暦の検証から太子の時代より後世の作であることが明らかになってきました。(●は繍の旧字 )
うむむ、これは一体どういうことなんだろう....ここでは日本書紀にその原因があると指摘している.
 大変革の時代の日本書紀の任務は誕生した天皇の歴史的正統性と権威の構築です。それが、高天原-天孫降臨-神武天皇-現天皇と連なる万世一系の思想と論理、中国皇帝にも比肩できる聖天子・聖徳太子の権威の創作、書紀は政治的意図が込められた歴史書でした。
 大山教授の指摘や論考は、歴史学者として踏み込んだものですが、隋書倭国伝との比較などから「用明、崇峻、推古の三人は大王(天皇)でなかったのではないか」「大王位にあったのは蘇我馬子」などの考も示しています。「日本書紀の虚構を指摘するだけでは歴史学に値せず、真実を提示する責任」(「日本書紀の構想」)からで、日本書紀との対決と挑戦が期待されます。
なるほど,天皇制を権威づけるためのでっち上げが濃厚というわけか・・・ これに便乗するわけではないが,日本書紀を信じるのは確かにおかしい.普通に考えれば,当時の権力者にとって都合のいいテキトーな嘘が散りばめられているはずだ.で,この社説の結論はこうだ.
 千年を超えた執念
 日本書紀が展開した思想と論理は千三百年の現実を生き現代に引き継がれました。憲法と皇室典範は「皇位は世襲」で「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と定めています。
 しかし、万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇のあくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。建国記念の日に永遠であるかのような日本の原理の由来と未来を探ってみるのも。
ふむ,世が世ならば不敬罪にあたる思い切ったことを書くね,中日新聞も.でも,冒頭の高校時代の恩師もきっと同じ意見だろう.
 聖徳太子不在説は知らないわけではなかったが,正直に言って,おかしな学者の空想と思っていた.知らなかったなあ〜!実は昨年法隆寺を訪れて見学したのだが,まんまと坊主にだまされたのか!
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by hiroi22 | 2008-02-11 22:46 | じっと思う

人間関係は難しいんだけど

 今日は個人的日記風.
 職場のアルバイトの女性が突然退職した.昨年10月から働いていたのだから,半年も勤めていないことになる.原因は”人間関係”.かかわっていたのが女性中心の職場だったのだが,そこの同じ仕事仲間とそりが合わなかったようだ.何でも一人の同僚と「激しい口喧嘩」を起こしたらしい.その同僚というのも同じアルバイトの女性であるが勤務歴はかなり長い人だ.たぶん,本人としてはもうこんな人とやってられないと思ったのだろう.ともかくも突然の退職願であったため,彼女の上司にあたる人が翻意を試みようとしたのだが,本人が興奮状態でとてもお話にならなかったらしい.彼女たちの間にどんないざこざがあったのか知る由もない.まあ,知ったとしても理解は出来なかったと思われる.
 いかなる理由があったにせよ,現在やりかけの仕事を放り出して退職するとは少しばかり見識を疑う.アルバイトであっても,責任感というものをどうとらえていたのだろうかと思う.採用の際の見極めが足りなかったと言えばそうかも知れないが,想定外の常識はずれな人だったとも言える.
 実は,今回ほど極端ではないにしろ,私の周りでは昨今この手のトラブルが目立っている.とりわけ女性中心の職場,特にアルバイトが多いところで起こりがちだと思う.男の多い職場はそれはそれで問題が多いことは承知しているが,女性の場合,今回のように難しい,理解出来ないデリカシーが元でトラブルが生じる場合がある.おじさんはお手上げである.こんなことを書くと反感を買うのは分かっているけど,「女子と小人は扱いがたし」って実感してしまうのである・・・・
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by hiroi22 | 2008-02-10 20:39 | ずっと思う

国立博物館にゆく

 先日、上野の国立博物館で開催されている「陽明文庫創立70周年記念特別展」を見に行った with 博学の美人。僕は情けないぐらい和歌も俳句も解さない無粋な人間なのだが、平安時代からの貴族のお宝をちりばめたこの特別展には唸ってしまった。展示品は、藤原鎌足から代々続く近衛家の陽明文庫から出展されたものだが、なにしろあの大化の改新の藤原鎌足である。僕にとってはほとんど神話上の人物といってよい名前だ。そこから代々続く家柄ということ自体驚きだが、その展示品がすばらしい。まさに中世のJapanese art。
 たとえば書。無粋な僕にはとてもじゃないが何が書いてるのか読めない。しかし、その美しさは観賞出来る。中国伝来の漢字と日本のひらがな、情報伝達の道具にしか過ぎないこれら文字だが、その美を極め尽くさんとする姿勢に日本の文化を感じる。
 例えば絵。精緻な描写と鮮やかな色使い。ほとんどが名もない絵師たちによるものだけに、技の広がり・底辺の大きさを感じる。そこに描かれている生き生きとした表現を目の当たりにすると、天才手塚治虫を生み、世界中を席巻する日本の漫画・アニメの隆盛も必然なのかなと納得してしまう。
 こういった芸術・文化は中世の貴族という極めて限られた富裕な人々によって形成されたものだが、それが今にたどり着いて日本社会の文化基盤になっているんだろう。

 僕は海外の博物館、美術館のいくつかに足を運んだことがある。大英博物館などは規模も大きく、世界中から見事な展示品が並んでいる。それはそれで平伏して「参りました!」と言う他はないのだが、この陽明文庫展のような純日本テイストの文化に絞った展覧会も味があるなあ、と博物館の学芸員顔負けの解説を聞かせてくれる同行の博学の美人の声を聞きながら思ってしまったのだ。
 しかし、この陽明文庫を持つ近衛家は藤原氏の末裔の名家。こういう家の子供が自分のクラスの生徒だったら歴史の先生は困ると思う。授業で「平安時代に藤原氏などの貴族が権勢を振るい、贅沢三昧の暮らしをしました。」なんて言いにくいもんなあ〜。
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by hiroi22 | 2008-01-27 16:25 | じっと思う

この一年のblogで自分の思考を振り返る

 今年もblogを書くという行為を通して自分の考えていたことを書き留めた.一年の最後にそれを振り返ってみる.
 個人の趣味的なことから政治まで、好き勝手なことを書いてきたが,今年は政治がらみのことが多かった.まず,「教育再生会議」に関することからはじめた.

教育再生会議の「報告」なんだが(1/30)
アクセルを踏みながらブレーキをかける(2/19)

 賑々しく始まった「教育再生会議」だが,報告を出す度に化けの皮が剥がれて,多くの人々の失望(失笑?)を買っていた.ま〜、私もその方向で書いているが,このblogで早々に(1/30)「(教育再生会議の報告書は)教育の現場経験のない先生方が書き上げた作文」と断定したのは正解であった.
 政治がらみでもう一つは,安倍内閣のボンクラぶりに呆れ、怒り、情けなく思う記事がやっぱり目につく.

「恥の文化」も今は昔(3/1)
情けない・・・(3/8)
懲りずに”やらせタウンミーティング”の発想--情けない(4/28)
こんな日本に誰がした---必要にして十分な批判(5/24)
無資格者の傍若無人(7/3) 等々多数.

 ま、こんな内閣は今後一切出て来ないで欲しい.この内閣の唯一の功績は,これまでインタビューなどであった「首相なんて誰がなっても同じでしょ」みたいな訳知り顔をつくろったコメントが,もはや恥ずかしくて出来なくなったことだろう.
 安倍内閣がらみで,他人様を少し皮肉ったことも書いた.

がんばれ,産経(10/6)
右翼な人達が触れて欲しくない過去(11/2)

ここに寄せられたコメントも含めて読み返してみて、再び「あはは」と笑ってしまう私は性格が悪いのでせうか.(^_^)

 一般(?)ジャンルでは10月にNHKでポアンカレ予想のTV番組が放映され,そのためこのblogのアクセス数が瞬間的に跳ね上がったことに驚かされた.実は、「ポアンカレ予想」というキーワードは,このblogの検索ワードのトップを常に占めている用語なのだが,それにしてもTV番組の影響力をまざまざと見せつけるアクセス数だった.

NHKのポアンカレ予想の番組を見る

 検索ワードでいえば「田幸和歌子」というのもしぶとく上位に名を連ねている.この人のエキサイトの記事を批判したものがヒットしていると思われる.

田幸和歌子クン,もういっぺん出直しなさい!
エスカレーター談義

私と同じようにこの人の記事にはうんざりしている人が多いのだろう.まあ、この人はいろんな意味でリテラシーが不足しているお方と見た.

 Apple信者としてのおつとめも忘れていない.特に今年11月に発売になったMac OSXの新バージョンLeopardは快適さはしっかり報告いたしました.

Leopardと戯れる
私のお気に入りのLeopardの機能

 今年も私の意見に賛否両方のコメントたくさんいただいた.コメントをくださった皆さんには改めて感謝いたします.と一旦謝辞を述べておいて・・・
 寄せられたコメントの中には、悲しくなるようなものが見受けられます.内容というよりもその文章が問題なのです.コメント欄が短いのは分かりますが、基本的な論旨が立てられていないものがあります.匿名だし、人のblogだという意識があるのだろうと思いますが,こういうコメントが私の意見と反対の場合(いつか書いた気もするけど)「ああ、こんな書き方しか出来ない人の反対意見は,結果として自分の意見のサポートになるなあ」と思ったりしているわけです.006.gif
 最後になりましたが、ファンのお方もアンチのお方も良いお年を!
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by hiroi22 | 2007-12-31 18:49 | じっと思う

クリスマス、スルーする私は嫌な奴?

 また喧騒のクリスマスである.私は子供の頃クリスマスにフラッと行った近所のバプテスト教会で見た子供の寸劇と,そのときにもらったお菓子につられて半年ほど日曜学校に通った経験があるのだ.やや動機が不純で,しかも日曜学校の先生にマホメットとお釈迦さんのことについて質問するという生意気なところもあったが,ともかくもキリスト教や新旧の聖書についてはそれなりの知識は身につけた(はず).しかしそれを抜きにしても喧騒のクリスマスは毎年のことながら苦々しい.
 とまあ,こんな風に始めて以下ズラズラと苦言を呈しても新味がなく俗っぽいことは承知している.せいぜい,ぼやき漫才のネタにしかならないだろう(そういえば,今夜は恒例のM-1グランプリだった).でも書いておくもんね.自分のblogである.備忘録として書いておけば,つまらんことでも後で読み直して何かを感じるかもしれないから....

 キリスト教徒でもないのにクリスマスを特別な日と思い騒ぐのが悪いとはいわない.日本人は宗教について節操がない.お稲荷さんだろうがキリスト様だろうが酒盛りの理由になれば許される.たいした理由がなくても都合がよいことなら誰も文句は言わないのである.日本の「建国記念の日」なんて,カルト右翼以外は誰も歴史的意味のある日とは思ってないけど,いちおう休みなので文句はいわない.クリスマスも酒を飲んでおいしい料理を食べるための理由になるのだから立派なものである.気に入らないのはTVやラジオで連発される「クリスマスだから○○しましょう」または「クリスマスには○○を」というフレーズである.わざとらしい.ほっといて欲しいものである.
 もう一つ気に,クリスマスイブには恋人同士が素敵な夜を過ごす(or過ごさなければならない)みたいな押しつけも気に入らない.ナンんだぁ?それはと言いたいね.そんなアホみたいな情報操作に乗せられる必要なし!

 ここまで書いてみ直してみても,どうもなんだか脈絡のはっきりしないぼやき漫才の感があるが,まあこれはこのままにしておこう.反省の種も人生には必要であるから.
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by hiroi22 | 2007-12-24 00:21 | ずっと思う

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