ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


by hiroi22

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

タグ:数学 ( 8 ) タグの人気記事

「岡潔」を読む

岩波新書で先頃出版された
「岡潔ー数学の詩人」
を読んだ。タイトルからは岡潔の伝記風に見える。確かにそういう面もあるが,この本の多くは彼の数学とその研究生活の叙述に費やされている.
岡潔の数学研究は戦前に始まり戦中を経て戦後10数年続いた.専門は多変数函数論である.この本は彼の研究生活とその研究について,残された資料や彼を知る人の話を元に丹念に綴っている.著者の慎重な記述は、岡潔の研究の道筋を辿り、われわれはそれによって岡潔の深い思索に想いを馳せることができる。大変な力作と思う.しかし残念ながら万人に薦められるものではない.この本の根幹である岡潔の数学の説明部分が難しすぎるのだ.擬凸状領域、正則領域。こういった概念の理解がなければ、岡潔が取り組んだハルトークスの逆問題は理解できない。その他にも、クザンの第二問題であるとかイテレーションの理論であるとか、一般人には未定義用語がこれでもかと現れる。こういう数学の知識がなくとも雰囲気は感じることができるかもしれないが、意味のわからない言葉が混じった文章が延々と続けば多くの人はまるで電話帳を読むような味気なさを感じるのではないだろうか。彼が発見した数学の偉大さを感じることができなければ、著者の叙述もどこか空回りするのではないかと恐れる。
そういう本筋の話とは別に、所々に顔を出す岡潔のエピソードは面白い。岡潔は希代の変人である。したがって,そのエピソードも奇行と言えるようなものが多い.例えば,京都から和歌山の実家へ帰るはずが,「鳴門海峡を見たい」という気持ちが起こって突然淡路島へ渡り,そこで身元が怪しいということで警察に保護されたという話や,広島文理大学講師時代,論文が掲載された直後に夜間中学生を理由なく襲撃した不可解な事件などがある.その一方で、フランス留学時代に書いた論文が、当時の著名な数学者ダンジョワと同じもの扱っており、しかしダンジョワと正反対の結果であったこと。つまり岡潔の論文が間違っており、「耳まで真っ赤になり」恥じ入った話なども挿入されており、ホッとする気分になる。
 岡潔の生き様がそうなのこも知れないが、この本全体に真実に対して厳しく向き合う岡潔の姿勢と情熱が感じられる。折に触れて読み返したい本だ。

d0007533_22334698.jpg

[PR]
by hiroi22 | 2008-11-11 22:51 | じっと思う

森毅のオッサン

 朝日新聞の夕刊に「人生の贈りもの」という連載インタビューがある.一口でいえば年寄り有名人にこれまでの人生の自慢話をしてもらうというものだ(というのはちょっと皮肉すぎるか).そのインタビューに今日から森毅京都大学名誉教授大先生がご登場なさった.
 私に言わせれば,森毅センセぐらい幸せな人はいないと思うのだ.なにしろ世間がまだ素朴で,京都大学教授しかも専門は数学,ということだけで一目置いてくれて引っ張りだこになった人なのだから.そういう古き良き時代をゆっくり過ごしてきた人なのである.じっさいに80になっても天下の朝日新聞のインタビューに対して理路整然風に答えるのだ.これはよっぽどストレスのないお気楽な人生を送ってきたに違いない.まったくうらやましい,うらやましい.(^0^) これが最近だとそう簡単にはいかない.大学教授といっても無闇には尊敬してくれない.藤原正彦先生のように文才という武器がなければダメである.もっとも森センセとて無芸ではない.テキトーに話を広げて何となくわかった気にさせるテクニックには長けているような気がする.
 そのインタビュー,おそらく今週一杯続くだろうが,初めから森毅節が炸裂している.堂々と「僕は物好きで,ものぐさ。」と公言するのだから,「公務員は楽して給料もらい過ぎ,キー!」といっている方々が聞けば卒倒しそうな話である.そういえば,記憶違いでなければ森毅センセは“公務員イジメ”で一部の人の溜飲を下げている橋下大阪府知事と同じ高校出身じゃなかったかな? ふふふ.
 今日のインタビューはこんな言葉で締めくくっている.
ただ教育問題で一番気に入らんのはね、クラスの人数が少なければ目が届いて、みんなに愛情が注げるって、あれは上からの論理でやり過ぎですよ。僕の一人っ子体験からしても。そんなに目を届かされたら、かなわんし、そんなに愛情を注がれたら、困るの。
う〜む,このジイさんはホンマに素直やないのぅ・・・・
[PR]
by hiroi22 | 2008-06-16 23:13 | ずっと思う

NHKのポアンカレ予想の番組を見る

 昨日今日とblogのアクセス数が異常な伸びを示し,一体何事かと思ったら,昨日のNHKのポアンカレ予想についての番組「ポアンカレ予想・100年の格闘」がその原因だったようだ.過去に記したポアンカレ予想についてのこのblogの一連の記事:
ポアンカレ予想(2006.5.4)
ポアンカレ予想解決の論文が出版されたのだけれど...(2006.7.22)
ポアンカレ予想再び(2006.7.25)
Perelman:超俗にして変人(2006.8.23)
がこの番組を見て検索されて読まれたものと推察される.で,せっかくなのでこの機会にこの番組の感想も書いておこう.
 この番組でまず感心したのは,ポアンカレ予想の条件である「三次元多様体の基本群が自明」ということを,「宇宙に1本のロープをぐるりと回してその両端を持ち,そのままロープをたぐり寄せることがいつでも出来る」という風に表現したことである.う〜む,これならばこむずかしいことを言わなくても理解できる.目から鱗が落ちた.
 一時評判になった「博士の愛した数式」という小説に見られるように,この手の番組はややもすると「数学を神秘化する」という傾向があるように思う.(この点についてはこのblog”博士の愛した数式”で批判した)しかし,この番組ではポアンカレ予想の解決に格闘する数学者の描写を通して,その手の”神秘化”は避けているように感じ,好もしかった.例えば,Haken多様体という名称に名を残しているHaken教授が,ライバルと競いながらポアンカレ予想に取り組んでいたエピソードはある種の人間らしさを感じさせた.ちなみに,その解説に示唆されていたknot理論が,ポアンカレ予想の解決の手段としてその動機を持っていたことは私は知らなかった.
 番組では,今回Perelmanが解決した「幾何化予想」を提唱したThurstonが,何度目かの結婚で授かった子供と戯れている場面があった.”ポアンカレの再来”と呼ばれながらも,今やある意味で”俗人化”したThurstonと,自ら全ての富と名誉を捨ててしまったPerelman.この二人の対比を見れば見るほど,Perelmanの現状は残念という他はない.しかし,彼は人類の文化史に名を残す偉大な仕事を成し遂げたことは間違いないのである.Perelmanがどんな状態に陥ったとしても,彼がポアンカレ予想という難問を解決したこと,それは人類の知の遺産として永遠に輝くのである.
[PR]
by hiroi22 | 2007-10-23 22:49 | ずっと思う

Perelman:超俗にして変人

 学者、特に自然科学者は真理を探究する。しかし、学者といえども霞を食べて生きているわけではない。血の通った人間である。目の前に富と名誉を提示されて心を動かさない人は少ないだろう。まして、それが自分の研究の対価である場合はなおさらだろう。と言うよりはむしろ、そのような場合、普通の人は喜んで受け取るだろう。ところが、そうでない人が現れた。
ペレルマン氏、フィールズ賞初辞退 ポアンカレ解け引退
ペレルマン氏「自分の証明正しければ賞不要」
 このblogで何度も話題にしたポアンカレ予想、そのポアンカレ予想を解決したとしてロシアの数学者Perelman氏が、現在スペインのマドリッドで開催されている「世界数学者会議」で数学界のノーベル賞ともいえるフィールズ賞を授与されることが決まった。しかし、彼は何とそれを拒否してしまった!
 フィールズ賞は、ノーベル賞ほど賞金は高くないが、国際数学界で最高の名誉とされる賞である。4年に一度開催される「世界数学者会議」でしか受賞者は発表されず、しかも受賞は40歳以下という年齢制限まである難関の賞である。また、彼が解決したポアンカレ予想は、その解決にアメリカのクレイ数学研究所から百万ドルの賞金がかけられているもので、今回彼が素直に(?)フィールズ賞を受賞すれば、彼がポアンカレ予想を解決したということは公式に認められたものとして、クレイ数学研究所から百万ドルの賞金が授与されることは確実であったと思われる。まさに彼は、
自らの研究の成果として得られたはずの富と名誉を拒否した
のである。まったく信じ難い...。
 上の朝日新聞の記事によれば;
 スペイン主要紙エルパイスは22日、米誌ニューヨーカーがペレルマン氏に行ったインタビュー内容を報じた。その中で同氏はフィールズ賞を断った理由を「自分の証明が正しければ賞は必要ない」と説明。現在の数学界や、有名になって注目される境遇に嫌気がさした気持ちを吐露した。
 確かに「有名になって、注目されるのがイヤ!」という気持ちは分かる。しかし、だからといってここまでするかなあ・・・
 さらに記事を読むと、彼の徹底ぶりがよく分かる。
 ペレルマン氏は昨年12月、サンクトペテルブルクのステクロフ数学研究所を辞めた後は研究の世界から姿を消し、他の研究者との連絡もほとんど絶っていた。
 同氏は現在無職で、サンクトペテルブルクの郊外で母親と生活。わずかな貯金と元数学教師の母親の年金だけが生活の糧で、「(授賞式が開かれる)マドリードに行く費用もない」という。
 自分の職場を離れ、退職した母親の年金を頼る生活をしてでも、受賞と賞金を拒否するのである。おそらく、
自分の研究は数学に対する知的興味から行なったもので、金や名誉を得るため、有名になるためにやったのではない
という信念があるのだろう。理屈の上ではわかる。しかし、普通にはとてもまねの出来ない行動である。ただ、こういう人が世界のどこかにまだ存在しているというのは、何となくホッとする気持ちにさせる。だが、日本人ではここまでは出来ないだろう。宗教観か道徳か何かの違いだろう。何となくそう思う。
[PR]
by hiroi22 | 2006-08-23 22:36 | じっと思う

ポアンカレ予想再び

 このあいだも報告したように、「ポアンカレ予想」はこのブログの検索キーワードとしてはもっとも人気の高いものだ(最近、また「亀田兄弟」を抜いてトップに立ってしまった)。ポアンカレ予想については先月”ポアンカレ予想解決の論文が出版されたのだけれど...”という一文を書いた。その内容を簡単に言ってしまえば、「中国人数学者が2名、ポアンカレ予想を解決したという論文を出版したが、その方法はPerelmanが明らかにしたものを踏襲しているだけなので、彼らのオリジナリティは認められないのではないか。」と主張したものだった。
 ポアンカレ予想は世紀を跨ぐ数学の難問だ。しかも、その解決にはアメリカのクレイ数学研究所から百万ドルの賞金がかけられている。つまり、この予想を解決したものは人類史上に輝く名誉とともに莫大な富を得られるということである。そういうこともあり、くだんの中国人数学者の論文に異議を唱えたのである。
 ところが、今日の朝日新聞の夕刊を見て驚いた。今日の夕刊の科学欄の小さなコラムの中に、クレイ数学研究所の所長の話として
「ロシアのペレルマン氏がネットで発表したアイディアをもとに四つのグループが専門誌に論文を出した。」
ということが紹介されていた。なんと、論文を発表したのは中国人数学者2名だけではなかったのだ!他の三つについて、検索したのだが今のところそれらしいものは見つけることができなかった。希望的観測だが、他の三つは自分がポアンカレ予想を証明したとは主張していないと思いたい。ともかく、このコラムに書かれていた、
「数学界は、突破口を開いた人を尊重します。」
というこの所長の言葉は数学界の良識だろう。
 ポアンカレ予想について検索している時に、アメリカのコロンビア大学のPeter Woitという数学者のblogを見つけた、この中で彼はPerelmanの講演についてこう記している:
In the spring of 2003, Perelman traveled to the US and gave talks at several places, including a long series at Stony Brook. By then he was explicitly claiming to have a proof, but few of the details were written down, although he did post two more preprints to the arXiv. His talks were major events in the math community, and at them he was able to answer anyone who asked for details on specific points of his argument. He gave a somewhat informal talk at Columbia one Saturday, a talk that I attended sitting next to Hamilton, who was hearing Perelman speak for the first time. Hamilton was clearly very impressed, and soon thereafter he and most other experts began to become convinced that Perelman really did have a way of proving the conjecture.
 ちなみに、この中に出てくるHamiltonはPerelmanがポアンカレ予想を解決するために用いたRicci-flowの研究をおこなった数学者である。
[PR]
by hiroi22 | 2006-07-25 23:45 | じっと思う

ポアンカレ予想解決の論文が出版されたのだけれど...

 ポアンカレ予想解決の論文が出版されたというニュースが伝えられた.
人民日報:中国人数学者、難問「ポアンカレ予想」を証明
毎日新聞:難問数学:「ポアンカレ予想」証明か 中国人数学者が論文
 普通,こういうニュースを聞くと「へえ,すごい!」ということになるのだけれど,今回は少し違う.先日も書いたように,この予想の解決自体,ロシア人数学者ペレルマン(Perelman)が既にアナウンスしている.単にアナウンスしただけではなく,その論文の草稿もかなり流布していて,各国の数学者がいろいろな形で検討していると聞く.そういう状況で,突然中国人数学者二人の共著論文が出版されたのである.タイトルと雑誌は以下のようなものだ.
A Complete Proof of the Poincaré and Geometrization Conjectures - application of the Hamilton-Perelman theory of the Ricci flow
by Huai-Dong Cao and Xi-Ping Zhu

Asian Journal of Mathematics
Volume 10, Number 2 (June 2006)
165-498
 以下は彼らの論文を見ないでのクレームである.しかし,そんなに大きく的は外していないと思う.
 数学の学術論文ではオリジナリティが問題になる.結果の新しさや方法の新しさである.ところが,この論文,そのオリジナリティはどこにあるのか?
 論文のタイトルには "applcation of the Hamilton-Perelman theory"とある.こういった場合普通 "application(応用)"というのは,既知の理論を何か別の分野,問題に適用するという時に使われる.しかし,彼らが応用する理論は"the Hamilton-Perelman theory of the Ricci flow"であり,まさにPerelmanがポアンカレ予想を解くために用意したものである.これでは,Perelmanの理論を彼の提唱通りポアンカレ予想の解決に適用したということではないのか?ならば彼らの真のオリジナリティはどこにあるのだろうか?
 もちろん,数学というのは厳密な論法を要求するから,Perelmanの議論,論文をきちんと検証することは重要なことである.しかし,それをしたからといって,この世紀の予想を自分たちで解決したといえるのか?
 さらに不可解なのは,彼らの論文を出版したAsian Journal of Mathematicsという雑誌である.毎日新聞の記事によれば,小島定吉・東京工業大教授(幾何学)は「論文が発表された雑誌は専門家の間で信頼が厚い。」と述べているそうであるが,世紀をまたぐ大問題解決の発表雑誌としては役不足と感じる.ポアンカレ予想ほどの大問題を解決したとなると,自然科学系でのネイチャーにあたるような,数学界における最高クラスの学術雑誌で発表しようとするものである.そういった雑誌は査読も厳しく,掲載されるのは困難だが,そのような雑誌に掲載されればその論文は高い評価を得る.だから研究者は,自信のある論文はそのような雑誌に投稿するし,雑誌の方も高いレベルを維持するために優秀な論文を掲載するのである.
 ここからは邪推である.一つ考えられるのは,彼らの論文もそのような雑誌に投稿したのではないかということだ.しかし,おそらく私が上に述べたような観点から掲載を拒否され,Asian Journal of Mathematicsに発表ということになったのではないか.Asian Journal of Mathematicsという雑誌は,editorial boardに中国人数学者がずらりと並び,chief editorsの一人は中国人数学者のドンであるから,彼らの論文も掲載されやすかったのだろうと思う(重ねていうが,私の邪推である).

 フェルマーの最終定理を証明したA. Wilesは自分のアイディアを人に漏らすことなく何年もたった一人で研究していた.フェルマーの最終定理の証明の完成後,その姿勢を非難されたという話を聞いたことがある.つまり,彼が自分のアイディアをもっと早く公開していれば,世界中の研究者の力を合わせて,定理の証明がもっと早くなり,数学の進歩にさらに大きく貢献できたのではないかというわけである.しかし,今回のことを見るとWilesの姿勢も無理からぬ気がしてきた.あまり気分の良いものではないけれど.....
[PR]
by hiroi22 | 2006-06-07 22:18 | じっと思う

ポアンカレ予想

 今朝の朝日新聞の第2面の「時々刻々」というところに「ポアンカレ予想」解決の話が載っていた.「ポアンカレ予想」というのは「基本群が自明な(=単連結な)多様体はn次元球面に限る」という現代数学において未解決であった予想の一つだが,一般に有名なフェルマーの最終定理に比べると地味な印象は免れない.実際に,この予想の意味をわかりやすく一般向けに語るのは難しい.だから,朝日新聞の第2面にこれが掲載されていることにちょっと驚いたのだ.
 この予想は最近(と言ってももう1年以上になるのではないかな)ロシアのペルレマンが解決したということになっている.正確には彼が証明したのはサーストンの幾何予想(任意の3次元多様体はよく知られた基本ピースに分解できる)であり,ポアンカレ予想はその幾何予想から従うのだ.いずれにしても数学界では,ペルレマンの仕事は,ワイルズのフェルマーの最終定理の当初の証明のように疑念が生じているわけではなく,もう解決は既定の事実という認識であると思っていたのだが,朝日新聞の記事はまだそこまでは断定していない書きっぷりだったのもちょっと意外であった.
 普通に考えると,2次元よりも3次元空間,3次元よりも4次元空間と,次元が上がるほど難しいものなのだが,このポアンカレ予想に関しては5次元以上の場合に,もうずっと前に最初に予想が解けてしまい,その後4次元も解かれて,最後に3次元の場合が残っていたのだ(2次元の場合はもっと前から知られていた).どうして高次元の場合が先に解かれたのかは,専門家でないので分からないが,ちょっと数学の世界の不思議さを感じるところである.
 不思議といえば,同じく大予想の「リーマン予想」だが,これはリーマンのゼータ関数の零点の分布に関するもので,素数の分布の研究に関係している.リーマンのゼータ関数というのは複素数を変数とする解析関数である.不思議なのは,解析学という微分・積分を元にしている分野が,整数論という分野に応用できるということだ.やや専門的になるが,解析学というのは,デデキンドの切断による実数の連続性公理を出発点としている.しかし,整数論は「一つ,二つ」と数え上げるものを基本としているので,「連続性公理」のような「人為的」なものとは無縁と思える.逆に言えば,「人為的」に構成されている解析学が整数論の道具となりうるのが不思議なところである.
[PR]
by hiroi22 | 2006-05-04 00:55 | ずっと思う

博士の愛した数式

 「博士の愛した数式」をようやく読んだ。“ようやく”というのは、地元の図書館で予約していたのだが、希望者が多く、なかなか借りることができなかったからである。数学がキーとなった小説で、たいそう評判が良い本だ。私自身、数学に関しては人並み以上の知識と経験はあるので、この小説に出てくる程度の数学には格段驚きもしない。そのせいだろうか、この小説の感想:
何が言いたいのか 私にはよく分かりません。
 たとえば、この小説の中で、次の式
d0007533_22171216.jpg
が重要な働きをする。これはオイラーの公式
d0007533_22131860.jpg
の特別な場合だが、確かにとても深くて重要な公式で、高等数学でこの公式を学んだ人間はいたく衝撃を受けるものだと思う。したがって、この公式に着目したのはけだし慧眼である(想像だが、誰か数学者のアドバイスがあったと思われる)。しかし、この式の意味とそれが小説中で果たす役割の関係が分からない。何故オイラーの公式なのか?

 この小説では、数学の”美しさ”というものが、通奏低音のように流れている。それは題名からも示唆されているし、物語の中でも頻繁に顔を出している。
 ところで、世の中に数学の公式・定理は数多いが、それを単なる道具として使うだけであるのならば、その本当の意味は分からない。その本当の意味を知る(or感じる)ためには、それなりの数学の素養・理解がなければならない。ところが、この小説の主人公である家政婦が(失礼ながら)この公式に対してそこまでの理解を持っているとは考えられない。また、持たすような設定はきわめて不自然である。
 なぜこのようなことを言うかというと、この小説で流れている”数学の美しさ”というのにうさんくささを感じるからだ。この小説でいう”数学の美しさ”というのは
難しそうで、ちょっと小粋な記号が並んでかっこいい!
というミーハーなものではないのかと思ってしまう。
 ミーハーなものが悪いとはいわない。特に数学のような学問に興味を持つ動機としては悪くない。しかし、この小説のような重い動機にするのは感心しない。このようなある種信仰に近い態度は数学の神秘化につながる。実際、この小説の中でしばしば「数学=美しい=神秘的」という捉え方を感じさせる。数学は第一義的には、決して神秘的なものではない。
[PR]
by hiroi22 | 2006-03-19 23:45 | じっと思う

ブログパーツ

  • →:次の記事へ
  • ←:前の記事へ
  • Home:このページの先頭へ
  • End:最後の記事へ

最新のトラックバック

「オバマファクター」米国..
from 米流時評
シティバンク危機脱出!連..
from 米流時評
経済氷河期に春一番? C..
from 米流時評
警告!北朝鮮が即時臨戦態..
from 米流時評
作家フォーサイス 次の小..
from 米流時評
「事実は小説よりも奇なり..
from 米流時評
オバマのマンモス再生予算..
from 米流時評
ウォール街の真冬はいつま..
from 米流時評
ウォール街ブリザード!ダ..
from 米流時評
自由への厚い扉/エジプト..
from 米流時評

リンク

タグ

(119)
(60)
(49)
(45)
(45)
(39)
(32)
(26)
(26)
(24)
(16)
(15)
(14)
(12)
(10)
(9)
(8)
(8)
(5)
(2)

ライフログ


青の時代


オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える


風味絶佳


Antonio Carlos Jobim's Finest Hour


セゴビアの芸術

カテゴリ

全体
じっと思う
ずっと思う
Macintosh
iPhone

検索

以前の記事

2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
more...

人気ジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧