ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


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教育談義

 知人(=女性)と話をしていて,教育の話題になった.彼女は「受験勉強」必要派として、その種の強制的な勉学が,日本人の基礎的な知識・教養の習得に役に立っているのではないかという意見だった.彼女のアメリカでの生活体験に照らしてみて,一般にアメリカ人は日本の普通の人よりも読み書きそろばんから始まる基礎的な知識に劣るというのがその例証だというのである.
 確かにその意見には肯んずるところもある.しかし,その弊害に目を向けたとき,トータルとして有効なのかどうかは疑わしいと思っている.以前フィンランドの教育について書き留めた(フィンランドかぁ...(3))ことばをもう一度掲げよう.
 「競争させて順位をつけて、何かいいことがありますか」。フィンランドセンターのヘイッキ・マキパー所長は話す。「下の子はやる気をなくし、上の子は自分が優秀だと思いこむ。どちらの人生にとってもいい影響は与えないでしょう」
 人間の成長には個人差がある.ちょっとした環境が,その人の学習意欲に影響を与えることがある.今のシステムでは,中学高校でいわゆる有名校を外すと,その後の人生でその遅れを回復するのは多大な労力が必要だ.いわんや,いわゆる「落ちこぼれ校」に入ってしまったのならば,将来の展望は大きく制限されるだろう.つまり,生涯のほんの短い時代の成績というものが決定的な役割を果たしてしまうのだ.先に述べたように,「人間の成長には個人差がある」ということにもかかわらずである.
 こういう状況は個人の人生を考えた時によくないだけでなく,社会全体の観点から見ても弊害が大きく,変えるべきシステムだと思う.例えば,小中学校で落ちこぼれであったとしても,実は晩成型で人並みはずれた能力を秘めた人間かも知れないのである.中学高校時代,のんびり過ごして三流校に甘んじていた人間でも,ノーベル賞級の才能があるかも知れないのだ.そういう人がしかるべき教育を受けていたら,社会に大きく貢献できる仕事ができるだろう.ところが,今のシステムでは,彼または彼女がそういうことに恵まれる機会はほとんどあるまい.これはわれわれの社会にとって大きな損失ではないだろうか.
 こういうシステムもさることながら,教育内容というものも問題だ.先日(3月2日),朝日新聞にフィンランドの教育の記事が載っていた.これは2月下旬に大阪でおこなわれた朝日教育セミナーの講演を中心とした記事だが,その中で学習到達度調査(PISA)をおこなったOECDの事務総長による日本の教育に対する痛烈な批判が紹介されていた.OECDのグリア事務総長曰く:
(日本の教育は)多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に適した人材育成.
 つまり日本の教育は時代遅れの価値観でなされているというのだ.
 その記事では,「日本の子供は,善悪の判断ができ,一つしかない答えはわかる」一方で,「判断がつかない,理解不能な意見を前にすると何も言えなくなる」と述べ,「都合の悪い意見でもそういう考えの人が世の中にいて,両方の意見をつき合わせて考えるべき」という点が弱いのが日本の学びだと言う.確かに短時間で答えを出す訓練ばかりが幅を利かせる受験勉強では,物事を根源的に考えたり,多面的に見るということは軽んじられるだろう.
 ある信頼すべきお手本があり,それに追いつくための教育としては今のような内容が効果的かも知れない.しかし日本がフロントランナーとなり,手本とすべき相手がいない立場になれば,自分で考えなければいけない.もはや答えなど用意されていないからだ.

 こういった状況を変えるには,まず第一に教師の質を向上させなければいけないのは言うまでもない.しかし,安倍内閣の教育再生会議のように教師を縛り,その自由を排除する姿勢ではダメである.これは教育現場においても同様である.また,一クラスあたりの生徒数も減らし,教師の雑用も減らして,きめの細かい教育を可能にする制度が必要だ.もう一つ,教育内容に関して言えば,いろいろな改革に先んじて大学入試の改革を先行すべきだろう.どんなによい教育でも大学入試に役に立つかどうかいう一点で評価されてしまう.こういう風潮は問題であるが,それを変えるよりも大学入試の方式をよりよい教育が認められるものに変えるべきだ.
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by hiroi22 | 2008-03-13 01:25 | じっと思う

聖徳太子--知らなかったのは私だけ?

 以前にも書いたのだけれど,僕の高校時代の日本史の先生はなかなかユニークだった.とにかく授業では,ことあるごとに“常識”を木っ端微塵にしてくれるのだった.曰く,
「吉田松陰?あいつはトンデモナイやつで・・・」
「堺の仁徳天皇陵?あれはウソ.あそこには何もありません.」
「水戸光圀?あいつは不良.」
「邪馬台国なんてありません.魏志倭人伝は白髪三千畳の中国人の書いた大法螺.信用したらあきません.」
等々.歴史上の有名人,偉人をバッサリ切ってくれるので,悪童どもは授業そっちのけで大喝采.その先生自身,高校教師ながらも考古学者として当時から有名で,のちにある大学の教授として迎えられるほどの実力の持ち主だったので,聞き耳を立てていたわれわれ生徒もそれなりの信憑性を感じていた.おかげで世の中の既成概念を無批判に丸ごと受入れるなどという姿勢から脱却出来たと思っている.彼にとって,むろん”万世一系”の天皇制とて容赦はなかった.
 こういった懐かしい日本史の授業の雰囲気を思い出させてくれたのが,昨日の中日新聞の社説だ.
書き換わる聖徳太子像 週のはじめに考える
ちょっと引用してみよう.
 実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。
 聖徳太子を知らない日本人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末から七世紀前半の飛鳥時代、日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日本の国力と文化を飛躍的に高め世界の先進国入りさせていった皇太子です。
 「和を以て貴しと為す」との教えや貧しい者への優しい眼差(まなざ)し、太子の言葉とされる「世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」の無常観などは、いまも人の心にしみて揺さぶります。
 常識になった非実在
 もっとも、一時に八人の訴えを聞いて誤りなく裁いたことから、八耳皇子(やつみみのみこ)と呼ばれたとの伝承や生まれたときから言葉を話し高僧の悟りに達していたとの伝説、その未来予知能力や中国の高僧の生まれ変わりで、最澄は玄孫などの輪廻(りんね)転生の説話などには訝(いぶか)しさを感じさせるものではありました。
 誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。ところが、積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、どうやら決定的らしいのです。
 びっくりした.聖徳太子はいなかったというのだ.太子の有名な業績についても次々と否定されているらしい.
 このうち十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、戦前に津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論、早大を追われたのは有名です。
 三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです。
 世に知られた法隆寺の釈迦(しゃか)三尊像や薬師如来像、中宮寺の天寿(てんじゅ)国●帳(こくしゅうちょう)も、その光背の銘文研究や使用されている暦の検証から太子の時代より後世の作であることが明らかになってきました。(●は繍の旧字 )
うむむ、これは一体どういうことなんだろう....ここでは日本書紀にその原因があると指摘している.
 大変革の時代の日本書紀の任務は誕生した天皇の歴史的正統性と権威の構築です。それが、高天原-天孫降臨-神武天皇-現天皇と連なる万世一系の思想と論理、中国皇帝にも比肩できる聖天子・聖徳太子の権威の創作、書紀は政治的意図が込められた歴史書でした。
 大山教授の指摘や論考は、歴史学者として踏み込んだものですが、隋書倭国伝との比較などから「用明、崇峻、推古の三人は大王(天皇)でなかったのではないか」「大王位にあったのは蘇我馬子」などの考も示しています。「日本書紀の虚構を指摘するだけでは歴史学に値せず、真実を提示する責任」(「日本書紀の構想」)からで、日本書紀との対決と挑戦が期待されます。
なるほど,天皇制を権威づけるためのでっち上げが濃厚というわけか・・・ これに便乗するわけではないが,日本書紀を信じるのは確かにおかしい.普通に考えれば,当時の権力者にとって都合のいいテキトーな嘘が散りばめられているはずだ.で,この社説の結論はこうだ.
 千年を超えた執念
 日本書紀が展開した思想と論理は千三百年の現実を生き現代に引き継がれました。憲法と皇室典範は「皇位は世襲」で「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と定めています。
 しかし、万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇のあくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。建国記念の日に永遠であるかのような日本の原理の由来と未来を探ってみるのも。
ふむ,世が世ならば不敬罪にあたる思い切ったことを書くね,中日新聞も.でも,冒頭の高校時代の恩師もきっと同じ意見だろう.
 聖徳太子不在説は知らないわけではなかったが,正直に言って,おかしな学者の空想と思っていた.知らなかったなあ〜!実は昨年法隆寺を訪れて見学したのだが,まんまと坊主にだまされたのか!
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by hiroi22 | 2008-02-11 22:46 | じっと思う

信念なき人々

 解散が決まった「教育再生会議」の最終報告、もうどうでもよい話なので気にも留めなかったのだが、「世界の片隅でニュースを読む」さんのblogを読んでずっこけた。ちょっと引用してみよう。
 全文を読み始めてまず笑ってしまったのは、冒頭で唐突に「生活者重視」というフレーズが登場することで、これは言うまでもなく福田首相の施政方針に沿ったものだが、図らずも報告の政治性を証明してしまった。もし安倍政権が続いていたら、間違いなく「美しい国」というフレーズを強調していたはずだ。
つまり、安倍政権では「美しい国」、福田政権では「生活者重視」と謳うわけである。メンバーが同じの「教育再生会議」がである。「世界の片隅でニュースを読む」さんはこれを「政治性の証明」と断じているが、僕に言わせればそんな高等なものでも何でもない、単に「自分たちの主張に信念を持っていないだけ」なのだと思う。
 このblogでは度々「教育再生会議」の批判をしてきた。その矛先は彼らの考え方であり主張である。しかし、彼ら自身の考え方をすること、主張すること自体には何の問題もないと思っている。個々人にはそれぞれの違った考え方がある。それは当然だからだ。しかし、上の最終報告のような、安倍内閣で美しい国、福田内閣では生活者重視を宣う、とは一体どういうことなんだ?何という節操のなさ.....まるで自分たちの主張に信念を持っていないのだろう。これほどまでとは思わなかった。

 呆れた信念なき人々をもう一つ。先日、日教組の教研集会の会場として予定されていたホテル、グランドプリンスホテル新高輪が、右翼の街宣活動に恐れをなして、裁判所の仮処分さえにも反して使用を拒否した。このことはblogを始め、いろいろな所で問題視されているのでここではあえて論じない。ここで批判するのは、使用拒否を”勝ち取った”右翼の方である。朝日新聞には、右翼幹部のコメントとして
「我々が迷惑であるという理由で貸すのを断念したとしても、それはそれで結果が出たと考える。」
というのが紹介されていた。要するに結果オーライだというのである。
 「人に迷惑をかけて自分たちのやりたいようにした。」よくまあ、こんなことを臆面もなく言えるものだと思う。これはもうヤクザそのものである。用心棒代と称する上納金を収めるのを拒否した商売人に対して、いろいろな形で嫌がらせをして商売の邪魔をするというのと同じことだ。自分たちの主義主張に信念など持っていないことを自ら告白したようなものだ。なるほど、右翼暴力団とはよく言ったものである。
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by hiroi22 | 2008-02-02 23:23 | ずっと思う

意味のないアンケート

 また喧騒の受験シーズンがやってきた.今年は「ゆとり教育」を受けた高校生の本番とあって、そちらの方も気になるところらしい.
<センター試験>「ゆとり教育」世代、真剣…受験生に聞く(毎日新聞)
 子どもの学力・意欲の低下が問題となる中で19日、大学入試センター試験が始まった。今年の現役受験生は、02年に導入された「ゆとり教育」の下で、中高6年間を過ごした「元祖ゆとり世代」。「詰め込まずじっくり勉強できた」と評価する声がある一方、「学校の勉強を補うために塾に通い、ゆとりを実感できない」という生徒も少なくなかった。昨年問題となった合格実績水増しは、今年は自粛傾向になった。【まとめ・山本紀子】

 ◇「ゆとり教育」に対する受験生の声◇

(県名は試験会場のある都道府県名、大学名は志望大学。質問は(1)ゆとり教育をどう評価するか。中高での勉強は十分だったか(2)学習意欲はあるか(3)大学で何を勉強し、将来は何を目指すのか) (以下省略)

 この記事には,例によって突っ込ませていただく.つまらん質問である.最初の「ゆとり教育をどう評価するか.中高での勉強は十分だったか」なんて高校生の彼らに意味のある答えが出来るわけがない.彼らは世間が「ゆとり教育」と呼ぶものをずっと受けてきたのだ.この質問に正しく答えようとすれば、「非ゆとり教育」を知っていなければならない.彼らにとって無茶な注文だ.2番目の質問も意味がない.受験シーズンの今,一定レベルの生徒に「学習意欲」を聞けば,たいてい「ある」と答えるだろうよ.「ない」と答えるのは,ちょっとつむじ曲がりの生徒だろう.現代高校生のその「つむじ曲がり度」でも測るつもりか?
 毎日新聞が行った調査にしてはあまりに思慮の無いものだったと言わざるを得ず,これを記事にするとは編集部の企画力を疑う.

 私は今や学力至上主義で教育を評価することには反対だが,学力至上主義の観点からであったとして,今回の「ゆとり教育」の評価をするのであれば,東大や京大など有名校の合格者の現役と浪人の比率を見ることだと思う.一度きりしかチャンスはないが,そこで統計的な有意差が出れば,少しは学力面での評価が可能だろうね.
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by hiroi22 | 2008-01-20 13:33 | じっと思う

福祉国家にクラクラ

 週間東洋経済1月12日号のcover story”格差なき成長は可能だ!「北欧」はここまでやる。”を読んだ.読みながら頭がクラクラしてきた.どこから感想を述べればよいのだろうか....高福祉社会に暮らすということは,かくも安心で人間らしい生活が出来るのかとただただ驚いてしまうばかりだ.とにかく順不同で中身を列挙してみる.
・子供の数に応じて住宅手当が支給される.2人目の子供がうまれた時に広い家に転居すれば住宅手当がもらえる.(スウェーデン)
・一人当たりのGDPは北欧4カ国は全て日本より上.最上位のノルウェーは日本の2倍近い.
・所得の再配分による格差解消.
・子育て,教育,医療に手厚い(北欧各国)
・高齢者の自立を基本にした,きめ細かいケア(スウェーデン)
・徹底した男女平等(北欧各国)
・北欧の労働者は残業をほとんどせず、夏期には1ヶ月の休暇を取る.

書き出したらきりがない.直接このcover storyを読んだ方が早い.福祉に関しては日本の現状からは「ケタはずれの厚遇」としか言いようがない.しかも経済的に大きく躍進しているのだ.そこに挙げられている統計数字を見るとため息が出る.
 確かに税金は高いだろう.しかし、それでよいではないか.それによってみんなが安心して働け、退職後の生活も保証され,そして自ら望めばふさわしい教育も受けられるのならば.
 欧米をキャッチアップすることに邁進してきた日本は,何のために働くのか,人間的な暮らしとは何か,そのことを今考えなければならないのではないかと思う.
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by hiroi22 | 2008-01-17 00:12 | ずっと思う

フィンランドかぁ...(3)

 昨日フィンランドの教育について,「自ら考える」ということを尊重していることを取り上げ,日本でもこの方向で「社会全体の知性を底上げするべき」と書いた.フィンランドのネタはこれで一区切りとしようと思っていたのだが、まったく偶然にも今朝の朝日新聞で「フィンランド」の活字が躍っていたので再び取り上げることにした.
 まず社説が目にとまった.そこでは,
希望社会への提言(11)—「アポロ13号」に教育を学ぶ
この社説では
・正解を急がず、競わせず、考える心を育てよう
・教育は投資、社会全体で知の劣化を食い止める

ということをフィンランドの教育をあげながら主張していた.つまり,昨日のblogと同じような内容である.
 ふむ、大朝日の社説と昨日私がNHKBSのTVを見て書いた内容とそうは違っていない.してみると、このblogもそう捨てたもんじゃないね,うふふ.とはいえ、やはり向こうの方がデータもはっきりしているし、明快じゃ.それはしょうがない.が,その内容について書き留めておこう.
 まず、日本の教育について,
 調査をしている経済協力開発機構(OECD)の事務総長は、日本にこんな警告を発した。「知識を再現する学習ばかり続けていると、労働市場に出た時に必要とされる力が身につかない」
という批判を紹介している.「知識を再現する学習ばかり」とはうまい表現だ.今日帰りがけに本屋に立ち寄って見つけた小柴博士の著書では,博士が東大の学部卒業生に向かって
「君たちは東大を卒業するのだから、受動的な学習に対しては適応していることは確かだが,将来必要となる能動的な学習に対する適応性は未知数だ.」といった趣旨の発言をしたことが紹介されていたが,これも同じ意味の警句だろう.日本がいろいろな分野でフロントランナーとしての立場が期待されている状況になっているとしたら,人の後追いしかならない「知識を再現する学習」だけでは済まされまい.
 以前あるところで「教育なんて強制」というコメントを目にして唖然としたことがある.私は「強制」というのは思考停止を意味して,「知識を再現する学習」どころか,およそ“教育”とは言い難いものだと思うのだが,こういうコメントが出ること自体、日本の教育の現状の深刻さを示唆しているのだろう.
 この社説でなるほどと思ったのは「競争」ということに対する認識だ.日本で一般的には「競争」は成長のための有力な方法として認められてきたのではないかと思う.無論、過度の競争による弊害は指摘されてきたが、それでも「競争」そのものはおおむね肯定的にとらえられてきたように思う.ところが、この社説ではフィンランドの教育と絡めて、こんな意見を紹介している.
 次に、他人と競わせないことだ。

 競争させると、順位に関心が向いて、考えることへの興味がそがれる。テストは各自がどこでつまずいているかを確認し、補うためのものだ。考える力がつくとともに学力格差も少ないのは、この二つの理念と実践が成果をあげているからだ。福田教授はそう指摘する。

 「競争させて順位をつけて、何かいいことがありますか」。フィンランドセンターのヘイッキ・マキパー所長は話す。「下の子はやる気をなくし、上の子は自分が優秀だと思いこむ。どちらの人生にとってもいい影響は与えないでしょう」
「競争させて順位をつけて、何かいいことがありますか」と問われてドキッとしたのは私だけではあるまい.「下の子はやる気をなくし、上の子は自分が優秀だと思いこむ。どちらの人生にとってもいい影響は与えないでしょう」というのは,“学力世界一”のフィンランドだからこそ説得力を持つ言葉だ.
 次の言葉は我々にとって耳が痛い.
日本は、どうだろう。

 学力危機は子どもに限ったことではない。大学生でも分数ができないと揶揄(やゆ)される。しょせんは試験でいい成績をとるために頭に押し込めた知識だ。のど元過ぎれば忘れてしまうのは当然か。
 私の知人で、入試で数学が零点ながらも某国立大学に合格した人がいるが(ゴメン、こんなところで引き合いに出して),数学に限らず学問が単なる通過のための道具となっているのは日本の現実だ.悲しいけれど.
 しかし,この社説に書いてあることがどんなに正論であっても,現状を変えることは難しいだろうなあと思う.

 もうひとつ,冒頭に書いた”「フィンランド」の活字が躍っていた”ことがある.それは東洋経済という経済週刊誌の広告だ.この週刊誌は買ってしまった.その感想はまた機会があればいつか書き留めよう.
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by hiroi22 | 2008-01-08 00:33 | ずっと思う

フィンランドかぁ...(2)

 昨日の朝,何気なくTVをつけると,NHKBSでフィンランドの教育に関する番組をやっていた.途中からだったのだが,思わず引き込まれてしまった.再放送だったようで,番組はこれ(↓)
BS特集「未来への提言」 元教育大臣 オッリペッカ・ヘイノネン  ~フィンランド学力世界一の秘密~
内容は上記のホームページの要約にある通りだが,これを見ながら新年早々NY Timesだったかに掲載されてた「日本ではインド式教育がもてはやされている」という記事を思い出していた.その記事では「日本は最近の学力の国際評価の落ち込みで自信を喪失気味で,インド式教育が注目を浴びている」と取り上げていた.「インド式教育」というものの中身はよくは知らないのだが,2ケタのかけ算表を暗記するといったことでその優越性をアピールしていると理解している.つまり、「詰め込み式」の方向にある教育法と推察している.一方、この番組でフィンランドの元教育大臣オッリペッカ・ヘイノネン氏が主張しているのはこの反対側にあるものと言ってよいだろう.「知識を詰め込むことではなく、変化のスピードが激しい時代を生き抜くための『自ら考える力』を育てること。」と言い切っている.

 例の「ゆとり教育」以来,教育についての議論がかまびすしい.最近発表されたOECDの国際的学習到達度調査の結果がそれに拍車をかけているようだが,フィンランド式とインド式とどちらがよいかと尋ねられれば、文句なくフィンランド式がよいと私は答える.いったい2ケタのかけ算表を覚えたところで数学の理解が増すわけではない.したがって,それだけをもってインド式教育をもてはやす(今のところ私の知っている理由はそうだが)というのであれば反対であると言わざるを得ない.他方,フィンランドでは,オッリペッカ・ヘイノネン氏の言葉にある通り,「落ちこぼれを作らないこと」や「自ら考える」ということを尊重しているようである.少子化であるが、国民の基本的な学力は高い日本では,彼のような教育哲学で社会全体の知性を底上げするべきだと思う.ただし、インド対フィンランドで議論したのだが,インド式教育なるものはよく知っているわけではないので、それについての誤解があるかもしれないが....
 こういったことを考えていると,「ゆとり教育」というものに思いが至る.実は私もかつては「ゆとり教育」と聞いて渋面を作っていた方なのだが,最近は、方向としては悪くないので,制度的なものを改善すればそれを支持したいと思うようになってきた.「制度的なもの」というのは、例えば授業時間を減らさないとか,現場の先生方の意見をもっと取り入れてカリキュラムの策定をするといったことである.

 もう一つ,同じアジアなのだが,私の見聞した限りではインドというのは今のところ,いろんな意味で大変なところである.確かにIT関連で脚光を浴びてはいるが,まだまだ貧しい国である.その意味でハングリー精神は旺盛かもしれないが,北欧の小国フィンランドと比べてより日本に近いのはフィンランドの方ではないかと思っているのである.したがって、教育の面で彼らが先に行っているのならばそれを参考にするべきなのだと.
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by hiroi22 | 2008-01-06 22:42 | じっと思う

まだいたのか「教育再生会議」

 先日、「教育再生会議」の第3次報告なるものが出された.個人的には「まだやってたのか」という印象だが,実際そういう雰囲気のようで,
 「首相からは何も期待できないと感じた。委員も熱意は冷めている」。25日の会合後、渡辺美樹委員(ワタミ社長)は記者団に語った。この日の出席委員は17人中9人にとどまった。
という25日の毎日新聞の記事が伝えるようにもはや”死に体”の会議なんだろう.
 面白いのはこの第3次報告の報道の違いだ.この報告では,「徳育」の教科化にこだわっているようで,朝日新聞,毎日新聞,中日新聞ともに「まだ言ってるよ」みたいな調子で伝えていた.
 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)で慎重な意見が相次いでいる徳育については、改めて「教科化し、年間を通じて計画的に指導する」と盛り込んだ。(朝日新聞)
 冷淡さが目立ったのは、学校に対する外部評価制度、学校選択の自由を認める教育バウチャー制などで、安倍政権当時の6月の第2次報告から書きぶりが軒並みトーンダウンした。「安倍カラー」は文部科学省が慎重な徳育の「教科化」を2次報告に続いて明記するのが精いっぱいだった。(毎日新聞)
「徳育」の教科化に中央教育審議会では慎重論が大勢を占める一方で、再生会議はなおもこだわりをみせるなど、三次報告には安倍カラーがにじんでいる。(中日新聞社説)
ところが共同通信の記事となるとこの項目はまったく触れられていない.「徳育」の「と」の字もない.短い記事で次のように書いている.
 政府の教育再生会議(座長・野依良治理化学研究所理事長)は25日午後、総会で第3次報告を決定、福田首相に提出した。学力向上策に力点を置き、小中9年制一貫校の制度化や飛び級、大学への飛び入学の促進により、学校教育法制定(47年)以来の学制である「6・3・3・4制」を弾力化するよう提言。小学校での英語教育の実施や、教科書改革、専科教員配置による理科教育の強化も求めた。
報道にとって何が事実かを考えさせるよい例かもしれない.

 以前、このblogで述べたように,教育再生会議は現場を知らない人間が好き勝手なことを言っている会議だと思っている.これは多くの人がそう思っているようで,ネットで見つけた北海道新聞の社説がこのことを的確に表現している.
再生会議が、今の教育のどこに問題があるのかをデータで明らかにし、対策を模索した形跡はない。政策の効果がどの程度なのかも判然としない。

 提言の実現性や実効性があいまいでは、公教育の再生はおぼつかない。

 学力向上が重要だと強調しながら、「できる子」への対策が並び、「そうでない子」への目配りが欠けている点でも不満が残る。

 再生会議のメンバーには元スポーツ選手、エッセイスト、財界人など教育問題の素人が大半だ。

 専門家でない人が、教育について独自の発想や意見を述べることが悪いわけではない。だが、その提言には実現性に疑問符がつく内容が散見される。
(中略)
 それを素通りして、素人の思いつきに近いアイデアが政策に反映されれば教育現場は混乱するだけだろう。

 道徳の教科化もそうだ。特定の価値観を「教科」という形で子どもと学校に押しつければ、教育はゆがむのではないか。

 将棋では「形作り」という手がある.負けを覚悟した側が「負けました」と投了する前に,負けた形ができるだけよくなるような手を指すのだ.一般に,敵の王様に肉薄した形を作ってから投了することが多い.教育再生会議も第3次報告を出したということで,いちおうの「形作り」がなされて面子が保てたと見て、解散すべき時だろう.
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by hiroi22 | 2007-12-27 00:57 | じっと思う

フィンランドかぁ...

 経済協力開発機構(OECD)が公表した4日、15歳を対象に06年に実施した国際的な学習到達度調査(PISA)の結果で,日本は総体的に順位を落とした一方,前回トップだったフィンランドが引き続き好成績だったことで,前回以上にフィンランドの教育に対する興味が喚起されているように見える.今朝の朝日新聞でフィンランドの教育に関する解説記事も掲載されていた.これを読んでフムフムと考えてしまった.
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 私自身,フィンランドには何度か訪れ,比較的長く滞在したこともある.フィンランドの全体的な印象は”人々は穏やかでとても文化程度が高い.”ということだ.人々が穏やかというのは,おそらく高福祉国家で,現在と将来の生活が保障されていることによるものだと想像している.その結果,日々の生活を楽しむことや知識教養に関心が向き,自然に人々の文化程度が高くなっているのだろう.反面,税金はとても高く,大して働きもせず昼間から酒浸りの人を時おり町で見かけることになってしまう.スーパーなどでの物価はそんなに高くないが,レストランなどの外食の値段はびっくりするくらいに高い.また,気候は厳しく,一年の大半,太陽が満足にあたらない生活を余儀なくされる.そういった負の側面はあるが,フィンランドに対する私の思いは一言,「うらやましい」である.人々のゆったりした生活に数字では表せない豊かさを感じてしまうのだ.
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 フィンランドに何度も行ったにもかかわらず,その教育についてはほとんど何も知らないのだけれど,どんな理由であれ日本人がフィンランドという国を知るのはとてもよいことだと思う.彼らの社会は日本とまったく違う哲学で構築されている.最近「共生」という言葉をよく聞くが,そういうことが実践されている社会かもしれない.上に挙げた朝日新聞の記事を読むと教育面ではまねをすべきことは多いと思う.(もっともその前に「何が優れた教育か」という問題があるが,今はそれは触れないでおく.)その記事での識者の発言では,フィンランドでの教育の成功は,教師の質が高い(大学院修士以上)ことと教師に責任を持たせていることにあり,日本でも教師の環境を整えることが第一だと主張している.私もこの主張は正しいと思う.日本では,特に最近例の「教育再生会議」なるものの場当たり的な提言に見られるように,教師を管理することばかりを考え,そしてその管理にYESとしか言わないような教師が「よい教師」だと見なす傾向がある.これでは優秀な人材が集まるわけがない.教師は兵隊でもロボットでもないのだ.もっとその職業にふさわしい環境と自ら動ける自由と責任を持たせなければダメである.
 
 むろん,教育にしろ社会のあり方にしろ,フィンランドのやり方をそのまま日本で真似ることは議論があろう.両者の気候風土や文化歴史はあまりに違う.例えば,人口密度は大きな差があるし,フィンランド全体でも大学はわずかな数しかない.大学進学の制度も異なる.特に昨今の「小さな政府」(=大企業・金持ちからは税金取りません政府)が是とされている風潮では,「高福祉国家を目指して税金は今の倍以上に徴収します」といっても,実現は難しいだろう.しかし,少なくともそういう方向性を議論することは出来るのではないかと思う.それは憲法で「健康で文化的な最低限度の生活を保障する.」と謳われながら,餓死者を出すこの国のありかたに対するささやかな異議でもある.
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by hiroi22 | 2007-12-06 17:13 | ずっと思う

オシムを祈る

 オシム日本代表監督が脳梗塞で倒れた。
<オシム監督>急性脳梗塞で入院 自宅でTV観戦後に倒れる
 日本サッカー協会は16日、日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が千葉県内の自宅で倒れ、順大浦安病院(千葉県浦安市)に入院したことを明らかにした。急性脳梗塞(こうそく)と診断され、集中治療室で治療を受けている。東京都内の同協会で記者会見した川淵三郎会長は「長期的な展望を話す段階ではない。命を取り留めてほしい」と涙を浮かべながら話し、深刻な状態を示唆した。
 声もない。このblogでライフログとして「オシムの言葉」を挙げているように、オシム監督には敬意を払ってきた。直接会ったことはもちろんないが、著書やインタビューでの発言,選手の言葉などを見聞して、彼を心から尊敬してきた。サッカー日本代表監督とではなく、尊敬すべき人として何とか一命を取り留めて欲しい気持ちで一杯だ。祈るしかない。
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by hiroi22 | 2007-11-16 21:57 | じっと思う

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