ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


by hiroi22

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とうとう....

 植木等さんが亡くなった。いつぞやテレビでお見かけした時、ちょっとやつれた感じだったので心配していたんだけれど....。とうとうこの日がやってきたのかという心境です。
<植木等さん>死去、80歳 「スーダラ節」「無責任男」
 「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーとして活躍し、サラリーマンの哀感を込めた歌「スーダラ節」や映画「ニッポン無責任時代」など“無責任シリーズ”の大ヒットで一時代を築いた俳優、植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、呼吸不全のため東京都内の病院で亡くなった。80歳だった。葬儀は近親者だけで行う。自宅は非公表。喪主は長男広司(ひろし)さん。
「無責任シリーズ」の映画、痛快で面白かったなあ。以前、CSで放送があったので録画しておいたけど、今見ても面白い。思わず引き込まれてしまった。コントも抜群、ギャグもパンチが効いている。おまけに歌もうまい。今のお笑い界にこれだけのスケールの人がいるかなぁ。刹那的なコメントを要求されるバラエティばかりでは育たないかも知れない。
 ほんとに残念で悲しい。ご冥福を心からお祈りします。
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by hiroi22 | 2007-03-28 00:51 | ずっと思う

スポーツ観戦の一日

 3月24日(土)はなんとまあスポーツ中継の多い日だったことよ。まず、プロ野球パ・リーグが開幕。日ハムのダルビッシュ有投手にほれぼれ。若いし、ハーフのイケメンで足も長い。ピッチングも素晴らしい。天は二物も三物も彼に与えたようである。ダルビッシュ君よ、もてるだろうがお嫁さんは慎重に選ぼう。続いて大相撲の朝青龍ー白鵬戦を見る。押し込まれた状態から、とっさに体を入れ替えた朝青龍の反射神経は凄い。その大相撲が終わって1時間後の7時からはサッカーとボクシングの同時進行が始まった。CMごとにチャンネルを入れ替えるのが忙しい。
 亀田興毅対エベラルド・モラレス戦は亀田興毅の判定勝ちに終わった。前々回の試合と違い、今回の判定勝ちは文句のつけようがないものだったが、今朝の新聞の見出しを見ると、辛口だったし、本人の談話も試合内容に不満を述べたものが掲載されていた。しかし、私は世界ランカー相手に文句のない判定勝ちをおさめたのだから、一定の評価を与えてよいと思う。本人の気持ちとしてKO勝ち出来なかったことに不満があるのは理解出来るが、世界の有力選手相手に簡単にKO勝ち出来るものでもない。ともかくも、この試合は彼が今のフライ級で世界に伍する実力を持っているということを証明した試合であったと思う。
 ただし試合運びについては検討の余地があろう。新聞などで指摘されているように、今回のガードを固めて低姿勢で接近するこれまでの「亀田式スタイル」が最適だったかどうかは疑わしい。前回のタイトル戦と同じく、アップ・ライトスタイルでアウトボクシングをする方が、彼のスピードを生かした戦い方が出来たのではないだろうか。ただ、今回の相手はリーチが長いことが亀田陣営としては気になり、従来の戦法に戻したのかも知れないが。
 上にも述べたように、今回の勝利で亀田興毅が世界王座を争える実力を持っていることが証明された。ただし、チャンピオンになれるかどうかは運次第だ。かつてF原田は「黄金のバンタム」エデル・ジョフレに挑戦し、戦前の圧倒的不利の予想を覆して勝利を収めて世界チャンピオンとなった。しかし、そのF原田はタイトル戦の前にあるボクサーによってマットに沈められている。原田を倒したボクサーとは、「ロープ際の魔術師」と呼ばれていたジョー・メデルであった。ところがメデルは、その当時十分な実力がありながら、タイトルに挑戦したのがエデル・ジョフレの最盛期であったためにチャンピオンになれなかったのである。つまり、チャンピオンと挑戦者の「実力の波」の状態によっては、偉大なチャンピオン、実力十分な挑戦者であっても負ける可能性はあるのだ。亀田の狙うWBC王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)は強いチャンピオンと聞く。両者の「実力の波」次第では亀田にも十分チャンスはあるだろう。彼の挑戦時期に「実力の波」の状態がどのようになっているかは神のみぞ知ることではあるが。
 もう一つの注目すべき試合、サッカー日本代表対ペルー戦。試合は2−0で日本代表の勝利、しかも中村俊輔選手と高原選手が活躍するという、ファンにとっては満足すべき結果となった。また、試合内容も終始ボールをコントロールして、日本ペースでおこなわれたように見えた。サッカーはまったく素人なのだが、新聞などの記事もおおむね好意的なものが多かったようだ。ところがオシム監督は手放しで喜んでいないようで、
 普段は「選手にマイナスの影響を与える」と個人評価を控えるオシム監督が、この夜はあえて中村俊を「もっとプレーのスピードを上げなければ」と評した。「終盤、若手を入れた方がスピードが出た。あれが日本の目指す方向だ」とも付け加えた。
という記事にもあるようになかなか厳しい見方をしているようだ。日本代表を預かる監督としては楽観的な見方も出来ないかなと感じていたのだが、あるblogの記事;
オシム代表の異物だった俊輔
を読んでウムと唸ってしまった。このblogの分析が正しいのかどうかは判断出来ないが、実に説得力のある解説である。サッカー観戦もとても奥が深いのだ。
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by hiroi22 | 2007-03-25 12:44 | じっと思う

沖縄旅行

 というわけで(どういうわけだか)、休暇を取って沖縄に行ってきました。旅行といっても、いわゆるパッケージ・ツアーです。この時期に沖縄旅行を選んだのは、一つは暖かいということ、もう一つは持病の花粉症から逃れたかったという理由です。パッケージ・ツアーにしたのは、沖縄にはまだ行ったことがなかったので、あれこれ行き場所を思案することなく一通りの観光地が回れるのではないかと期待したからです。
 実は、このパッケージ・ツアーなる形態の旅行は、私自身はあまり経験したことがなかったのです。その点、今回の旅行は珍しくもあり、期待はずれでもありました。
 「珍しかった」のは、第一に、ガイドさんの旗の下で団体旅行だったということ。これは高校の修学旅行以来だから、もう相当珍しいことです。それから、団体といっても、いろいろな人たちが集まっていたということ。少し足の不自由なおばあさんを手助けしながら、旅に参加した初老の女性の3人組。林真理子を思わせる風貌のおばさんとその息子(まさか若いツバメ?)らしき二人連れ。そして、何かにつけワーワーキャーキャー嬌声を発する若い女性ばかりの2グループ。観光旅行だけでも“非日常”ですが、何だか“人生の縮図”を思わせる人々が一堂に会して旅を続けたというのは滅多に体験出来ることではありません。
 若い女性のグループは元気が良いというか、うるさいというか....。まあ、華やかではありました。しかし、その元気な彼女たちも、バスの中でガイドさんが沖縄の基地の話をし始めると、静かになって寝息を立てていました。大変分かりやすい反応です。
 「期待はずれ」だったのは、このツアーがほとんど「おみやげ屋さん歴訪ツアー」であったということです。もちろんパンフレットにはそんなことは書いていません。「伝統工芸の○○見学」とかなんと書いてあるのです。そして、実際にその現地に赴くと、解説をしてくれる人がいます。しかし、彼らの解説は長くても5分ぐらいで終わります。その「解説」が終わればさっさと我々をおみやげ屋さんに誘導します。バスの中でも安心は出来ません。今年横浜ベイスターズにトレードされた工藤投手を浅黒くしたようなおじさんが突如バスに乗り込んできて、自身の土産物屋の商品紹介と即売会をしてくれました。まったく、商魂逞しいと言わねばなりません。まあ、旅行会社にしてみれば、この「お土産屋歴訪」があるからこのツアーが成り立っているのだというのでしょうね。
 とはいえ、観光旅行らしい側面がないわけではありません。沖縄における戦争の悲惨さを物語る「ひめゆりの塔」にも行きました。
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ガイドさんから悲しい話を聞いて、一同しゅんとなってしまいましたが、その「ひめゆりの塔」のそばにこんな(↓)注意書きが。まったく不届きな人間はどこにでもいるものです。
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「ひめゆりの塔」は米軍との沖縄戦で亡くなった女学校の生徒の悲惨なお話ですが、その「ひめゆりの塔」のそばにこんな店がありました(↓)。
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どんな店をどこに出そうと勝手ですが、場所が場所だけにデリカシーのないことだと思ったのでした。

 旅行全体を通して天候にも恵まれた旅ではありました。きっと日頃の行いが良かったのでしょう。
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by hiroi22 | 2007-03-24 00:08

何とも言いようのない石原都知事+α

 明日から旅行に出かけるので、その準備中なんだが、これには一言。
「仏語侮辱」都にも提訴 石原知事発言で語学校長ら
 石原慎太郎東京都知事がフランス語を「数を勘定できない言葉」と侮辱したとして、フランス語学校長マリック・ベルカンヌさんや、カナダ人、日本人ら74人が19日、都に対して謝罪広告と1人当たり5万円の慰謝料を求める訴訟を東京地裁に起こした。原告らは05年、知事個人に謝罪と慰謝料を求めて提訴したが、裁判の中で知事が「都知事としての公的発言だった」と主張したため、都も訴訟相手とした。
 この石原都知事の発言には知人のフランス語研究者も激怒していたが、まあなんとも品のない発言である。どうしたら、こんなことが言えるのかまったく理解出来ない。
 フランスは、夭折した天才数学者ガロアをはじめ、整数論のフェルマー、解析学のコーシー、代数幾何学の天才グロタンディークなどの数多くの世界的数学者を輩出している。たぶん、数学のレベルでは日本より上かも知れない。そのフランス語に対して「数を勘定できない言葉」とは何を血迷っているんでしょうね、この人は。しかもこれが「都知事としての公的発言だった」とは!?おいおい、都庁の人間まで巻き込むのかよ〜!自分で言った暴言は自分で責任を取りなさい!それぐらいの潔さがなくてどうする。

+α
このblog↓に笑ってしまいました。内容の是非は問わないことにしますので、ヨロシク。
日経調査:安倍内閣の支持率、不支持率を下回る
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by hiroi22 | 2007-03-19 22:28 | ずっと思う

書類作りで日が暮れる

 今日の朝刊の「教育」欄に載っていた小さな記事が目にとまった。例の「教育再生会議」の提言に関して、現場の教師の意見を聞いているものだったが、多くの先生の意見(嘆き)として、
「あんなにいっぱい改革が実行されれば、私たちはますます忙しくなります」
というものだったという。問題は「忙しくなる」という中身だが、「書類作りや保護者や地域との会合、学校の印刷物やホームページの充実」のためだということらしい。さらに、このようなことに付随して会議、研修なども増えてしまい、結局子供たちから先生がどんどん遠ざかるという結果になるだろうという。
 これはさもありなんと思う。私は「教育再生会議」の提言というのは、前にも書いた
現場を知らない人々が勝手に思いつきを無責任に並べたもの
と思うからだ。現実的かどうかも斟酌せずに「あれもやれ、これもやれ」と言っているに過ぎない。この記事は
「これ以上、国は何もしなくていい。ただ一つ、先生の数を増やしてほしい。その方がよほど教育再生になりますよ」
というある高校の校長の言葉で締めくくっている。これは本音だろう。「ゆとり教育」で振り回され、また「教育再生会議」で振り回され、教育現場の先生には深く同情する。「ウンザリ」する気持ちも分かる。

 もうひとつ気になったのは、
地方国立大「存続ムリ」 競争型の交付金案牽制
だ。記事によれば、
 発端は、日本経団連の御手洗冨士夫会長ら民間議員4人が2月末の諮問会議に出した提言。運営費交付金が、学生数や設備などに連動して配分されている現状に疑問を投げかけ、配分ルールについて「大学の努力と成果に応じたものに」などとの改革案を示した。
ということに対して、
 日本の半分の県から国立大学が姿を消しかねない——。国立大への国の運営費交付金の配分方法について、経済財政諮問会議の民間議員が「競争原理の導入」を提言したのに対し、文部科学省がこんな試算をまとめた。
さらに
 3月上旬に都内であった国立大学協会の総会では、学長らから悲鳴に近い訴えが相次いだ。「日本の大学教育がほろびかねない」「地方の大学は抹殺される」
 これも現場を見ない、かつ近視眼的な「評価」で大学教育の価値を決めようとする財界の「お偉方」の貧困な発想だ。目先の利益ばかりにとらわれている。教育は商売でも「儲け話」でもないのだ。地方の大学も含めた全体の知的水準の底上げがなければ、日本の地盤沈下は避けられない。実際に地方大学の財政的な困窮はすでに深刻だと聞く。

 かくして大学の先生たちは、誰によってなされるのか分からん「教育の評価」のために、何の役に立つのか分からない妙な書類をせっせと作らなければならないのだろう。エネルギーと資源の無駄なことよのう。
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by hiroi22 | 2007-03-18 22:09 | じっと思う

人の悲しみが分からない殺伐としたblogに負けずに

 人間の世界である。どんな職業でもどうしようもない人間はいる。たとえ教師であってもだ。まだ11歳の小学生が自殺したという。担任教師の「体罰」が原因のようである。
<体罰>「小5息子の自殺原因は教師」両親が提訴 北九州
 訴えによると、永井君は05年4月ごろから担任の女性教諭(51)=退職=に体罰を受けるようになり、泣きながら帰宅することもあった。06年3月16日には胸ぐらをつかまれ、床に押し倒されるなどした。永井君はその直後に教室を飛び出し自宅で首をつって自殺した。
この記事が事実ならば、その51歳の教師がしたことは、教育でもなんでもない。確かに、時として言葉だけではなく、行動による教育も必要だろう。しかし、「胸ぐらをつかまれ、床に押し倒した」などというのは論外である。権力を盾に取っての弱いものへの暴力でしかない。
 我が子をこんな悲惨な状況でなくした親の悲しさは計り知れないだろう。裁判で勝っても亡くなった子供が戻ってくるわけではないが、泣き寝入りをすることはない。また、裁判はこんなことは二度と起きないように警鐘を鳴らすという意義もある。

 それにしても、この訴訟を起こした両親に対する殺伐としたblogの雰囲気はどうだ。この元教師の体罰に対して、えらく理解のある意見が見られる。11歳の小学生の胸ぐらをつかんで床に押し倒すという行為に、いったいどんな教育的意義があるのか?
 また、この両親が子供の異変に気づかなかったことを非難する人もいる。確かに状況がはっきりしないにしても、そういう一面は考えられる。しかし、そもそもこの元教師のひどい暴力がなければ起こりえなかった事件である。非難されるべきはこの元教師以外にあり得ない。
いったい何故にこの元教師の肩入れをする人間が存在するのだろうか
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by hiroi22 | 2007-03-17 01:23 | じっと思う

時々垣間見えるWndows(その2)

 近々販売されるというApple TVのことを書こうと思ったけれども,こんな記事
どうしてパソコンの善し悪しにここまで差がつくのか?
を見つけたのでその感想. 
 これを書いたのは戸田覚というパソコン評論家(?)である.パソコン=Windows PCというスタンスで書いてあるので,Macintoshな私にはヘェーと思うことがある.例えば次のようなことだ.
 ただでさえパソコンの売れ行きが芳しくないので、書きたくはないが、今後のことを考えて、あえて書いておきたいことがある。

 地デジパソコンのレスポンスだ。これも店頭できちんとチェックしてほしい。ウィンドウ表示にして、番組を切り替えたり、録画や再生を繰り返していただきたい。信じられないほどレスポンスが悪く、使っているだけでストレスがたまる製品がある。特に、CPUパワーが貧弱だったり、ソフトの設計がイマイチな地デジパソコンは、視聴専用と割り切るべきだ。「ながら」で何か操作をしようとか、バンバン録画しようなどとは思わない方がよい。
 巷の家電量販店ではTV付きパソコンが売られている.でも,私はそういうのはあまり欲しいとは思わない.TV番組はテレビで見れば良いのである.TV用の大きなディスプレイはパソコンには不要だし,大きすぎて逆に使いにくい(と思う).PowerBookを使っているので,TVを見ながらMacintoshを使いたければ,TVのある部屋でMacintoshを使えばよいだけだ.ただ,まれにTVをMacintoshでもみたいときはある.しかし,そのために余計な出費をするのは馬鹿馬鹿しいと思っている.
 で,上の記事だが,地デジを見ると「信じられないほどレスポンスが悪く、使っているだけでストレスがたまる製品がある。」とある.さらに「特に、CPUパワーが貧弱だったり、ソフトの設計がイマイチな地デジパソコンは、視聴専用と割り切るべきだ。『ながら』で何か操作をしようとか、バンバン録画しようなどとは思わない方がよい。」となると,う〜むと考え込んでしまう.
 素人考えだが,「TV機能付きパソコン」というものは,あまりパソコンに詳しくない人やパソコン初心者に強くアピールするものではないかと思う.そういう人はあまりパソコンのCPUパワーは要求しないだろう.したがって,そういう人が「TVとパソコンが両方楽しめる」と思って喜々として買ったものが,「視聴専用と割り切るべき」とか,「バンバン録画しようなどとは思わない方がよい」という状態であるとしたら,これはもうほとんど詐欺のようなもんじゃないのかなぁ〜
 また,
 携帯ノートにも注意したい。いま、フルサイズノートやデスクトップのCPUは1.6〜2GHzのデュアルコアが人気だ。ところが、携帯ノートは1GHz程度のデュアルコアかシングルコアである。これが、同じように使えると考える方が間違っている。ウィルス対策ソフトを初め、いくつもの常駐ソフトを使っていると、延々と起動しなくなる。快適に使えるのは、買ってきて数カ月だったりする。そのうちフリーズが増え、スタンバイからなかなか戻らなくなる。携帯ノートは、徹底して割り切って使うべきだ。常駐ソフトを徹底的に排除し、保存しているメールの数なども減らそう。
 これはホンマかいなとWindowsの人に聞いてみたい心境だ.上に言う「1GHz程度のデュアルコアかシングルコア」というCPUはMacintoshでは現在はないけれど,Power PCの時代ならクロック数だけでも普通のCPUだ.今でも現役マシンは多いと思う.現に私のPowerBookはG4(2世代前のCPU)で1GHzそこそこだ.もう3年ぐらい使っているが快調である.それがPCの場合「快適に使えるのは、買ってきて数カ月だったりする。そのうちフリーズが増え、スタンバイからなかなか戻らなくなる。」とは????「携帯ノートは、徹底して割り切って使うべきだ。常駐ソフトを徹底的に排除し、保存しているメールの数なども減らそう。」って,とっても不自由じゃん!?
 Macintoshで一番小さいのが13インチのノートで2キロ以上の重さがある.PCで一番うらやましい点は軽量ノートがある点だ.これは逆立ちしてもMacintoshな人はかなわない.ところが,その軽量ノートがこんなのだったら要らない.しかし,ホントか?
 パソコンの善し悪しに差の付く理由を想像するなら、それは作っている側が、使っている側の気持ちやニーズを最優先に考えているか否かだろう。価格や外観等を先にふまえ、「売れる製品」を作ろうとするほどに、だめなパソコンになっていくのではないだろうか。
この意見は思いっきり賛成である.私の場合は「パソコン」を「携帯電話」と読み替えて主張します.
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by hiroi22 | 2007-03-15 17:59 | Macintosh

うふふふの「反社会学講座」

 パオロ・マッツァリーノ著「反社会学講座」を読んでいる。面白い。抱腹絶倒というよりも、ムフフと笑わせる。d0007533_22353044.jpgこの本は、章ごとに講義をおこなっているという設定になっているが、至る所に知的刺激がちりばめられていて楽しませる。そして、世間のうさんくさい常識に挑戦している本であるとも言える。この本を読んでにやりとすれば、凝り固まった固い頭も少しは柔らかくなると思われる。具体的に気に入ったところを2、3書き留めておく。
 まずは「第2回(講義):キレやすいのは誰だ」が痛快だ。「最近の若者はキレやすい。少年による凶悪犯罪が多くなった。」という“常識”を木っ端微塵に砕いているのである。それも身勝手な理屈を並べているのではない、統計データを駆使して論証しているのである。
 筆者はここで戦後最悪最強の少年世代はいつか「戦後最悪凶悪少年決定戦、略して凶−1グランプリ」を検証する(いいねえ、このネーミング)。いくつかの統計データを提示して、論証を加えた結果、筆者はこう宣告する。
というわけで、本日ここに戦後最もキレやすかった少年が決定致しました。グランプリは昭和35年の17歳、つまり昭和18年生まれで西暦2001年現在58歳の方々です。おめでとうございます。
ガハハ!なんだ、「近頃の若いものは...」とかエラそうに言っている64歳(2007年現在)のご老人方よ、あなたたちより今の若い人たちの方がおとなしいじゃない!そういえば、私の職場でも、すぐにキレて大声を出し、身勝手でスタンドプレーが好きなご老人がいるが、彼はこの世代である。(彼がもうすぐ定年でよかった。)
 さらに筆者は返す刀でこうも言う;
 ついでにいわせていただくと、テレビゲームでこどもがキレるというのもウソだとわかりました。昭和30年代には素晴らしく高性能なゲーム機など、存在しなかったはずです。食べ物をキレる原因とするのも無理があります。だったら、当時の給食でおなじみのクジラ肉や揚げパンは、ファーストフードより遙かに危険な食品だという結論になってしまいます。
ふふふ..(^0^) ついでにもう一つ。
昭和23年の(少年による;管理者注)強盗件数は戦後最高の3878件。これは戦後の混乱期だったことを示します。当時の17歳は、教育勅語による学校教育を受けています。近年、教育勅語の有用性を訴える老人がいらっしゃいますが、なんの効果もないことが証明されました。人間、食うのに困れば、盗みを働くのです。道徳教育を強化したところで、犯罪の抑止効果は期待できません。
あははは。

 常識を打ち砕くという意味では、「第6回 日本人は勤勉ではない〜本当に新しい歴史教科書・PART1〜」および「第7回 続・日本人は勤勉ではない〜本当に新しい歴史教科書・PART2〜」もインパクトがある。本題に入る前に、次の皮肉が笑わせる。
日本では、おばちゃんのアルバイトだけをパートといって区別する習慣があるのですが、これはなんとも不思議です。英語だと全部パートタイムですね。この辺には、なにか民族学的な理由が隠されているのかもしれませんが、それは専門家の研究を待ちましょう。どんなささいなことにも噛みついてくるフェミニズムの人たちが、これを女性差別だと騒がないのも、また謎のひとつです。
本題の「勤勉さ」については、まず歴史を掘り起こすことから始める。
 新しいものを疎んじる守旧派のみなさんに、残念なお知らせがあります。フリーターは江戸時代から存在した、由緒正しい生き方なのです。
(中略)
 慶應元年(1865年)、麹町12丁目。143人の戸主(世帯主)のうち、38人が日雇い仕事で暮らしていました。約26%です。同年、四谷伝馬町新一丁目では96人中13人で14%。こちらは住民に武士が多い土地柄なので、数字が低くなっています。慶應3年、宮益町では172人中69人で40%にものぼります。さすがに現代の日本で、世帯主の4割がフリーターという話は聞きません。江戸の世では、結婚してもフリーターでいるのがおかしくなかったのです。
(中略)
 江戸時代の町人たちは、経済発展などとは無縁でも、適当に楽しく暮らしていたのです。日本人がもともと勤勉な民族だったというのがウソッパチであると、納得していただけたことと思います。古くは、平城京建設に駆り出されたものの仕事がつらくて逃げ出した人たちがいました。それがあまりにも多かったので、取り締まる専門の役所が必要だったくらいです。当時の大人たちも、「近頃の若いやつらは、仕事がつらいからって、すぐにやめやがる」となげいていたのです。
 江戸時代のことよりも現代はどうなんだということについては、こう語る。
 ここに、『証言・高度成長期の日本』という資料があります。これは、当時の状況を冷静に振り返った証言がつづられている、貴重な資料です。日本人は昔から何ひとつ変わっていない、進歩も改革もないことがはっきりします。
(中略)
勤勉さの検証です。加藤日出男さんはこう語ります。昭和40年代には店員や職人の給料がもの凄い勢いであがりました。そのため、苦労してつまんない職場にいるのはバカらしい、といって、イヤな職場はすぐにやめる人が多かったのです。

 また、こんな話もあります。農家の息子が家を継ぐのをいやがります。父親は「ばかやろう、農家をやらないのか」と叱りますが、息子は都会へ出ていきました。数年後、息子が帰郷すると、父親は農業をやめて、ドライブインのオーナーになっていました。

 勤勉の象徴であるはずの農家でさえ、土地を売ってガソリンスタンドやレストラン経営に鞍替えする例が少なくなかったのです。

 イヤな仕事はすぐやめて、楽そうな仕事、おもしろそうな仕事に就く。これは、いまに始まったことではないのです。捏造民族観に洗脳された方は、この事実を不愉快に受け取ることでしょう。しかし、私の提唱する「人間いいかげん史観」に則れば、当然のこととして理解できるのです。イヤなことをやめるというのは、人間の本性です。自然な姿です。そこには自然淘汰の力がはたらいているのです。

 たとえば、カリスマ美容師を志す若者は大勢いますが、その大半は途中でイヤになってやめてしまいます。それをとやかくいっても始まりません。仮にもし全員やめずに残ってしまったら、日本中美容師だらけになってしまい、人口1人当たり1.5人の美容師がいるなんて事態にもなりかねません。これはこれで困った世の中です。
 「少なくとも高度成長期にはみんな真面目に勤勉に働いた」という声には冷徹にこう断言する。
 そうでしょうか。現在、日本中で鉄筋コンクリート建築が崩壊の兆しを見せています。小林一輔さんの『コンクリートが危ない』によれば、そういった手抜き工事のほとんどが、東京オリンピック(昭和39年)以降の高度成長期に作られたものだとのことです。材料をケチり、工期を短縮し、ただひたすら純利益をあげることにのみ邁進する。これが高度成長期の「勤勉」の正体だったのです。どんなインチキ仕事でも、やっつけ仕事でも、数さえこなして金が儲かりゃいいんだ。会社は慈善事業じゃねえんだよ——

 高度成長期とは、職人気質がカネの力に負けた悲しい時代でもあったのです。
そうだよなぁ。「手抜き工事」の類いの話は今でもよく聞くもんなあ。 
 とまあ、このような刺激が至る所に満ちあふれた本である。ただし、「勤勉さ」について断っておくと、筆者は「勤勉でない日本人」を非難しているわけではない。この章はこう締めくくっている。
 ここいらで認めたらいかがですか。日本人はいいかげんな民族なのだ、と。そして、そこからまた始めるべきです。がむしゃらに働き、敵を食い尽くすという欧米の白人エリートのようなやり方は、日本人の体質にはマッチしないのです。だって、休暇もそうじゃないですか。白人は何週間もまとめてガッととりますが、日本人はそのやり方に馴染めません。週休3日くらいのペースで、適度にちびちび働き続けるのが、日本人の性格に合っているのです。

 昔はよかった。たしかにそうです。西洋文明のサルまねを始める以前の日本人の生き方は、本当に素晴らしかったのです。

 自分の常識をつぶされて不愉快な思いをする人もいるかもしれませんが、もちろん、何を信じようと思想信条は自由です。しかし、もし不満を持つのなら、彼の言説に反論すれば面白いと思います。ただし、きちんと論証する必要があります。子供の喧嘩のような言いがかり(ネットでよくお目にかかります)では意味がありません。
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by hiroi22 | 2007-03-10 23:42 | じっと思う

情けない・・・

 従軍慰安婦問題が揺れている。私自身、多くの人々と同様この問題を考えることは気持ちのよいものではない。まるで、自分のおじいさんが強姦魔だったということを告発されているような気持ちになる。しかし、中国、韓国だけではなく、台湾やオランダにも被害者がいるとされる状況で、その被害にあった人たちの気持ちを考えれば目をそらすことは出来ないと考えている(だからといって、小中学校の教科書に載せるべきとは思わんが)。ところが安倍首相はこんな趣旨の発言をするのだ。
広義の強制はあったが、狭義の強制は疑わしい
広義の強制とは何か?それは、
日本軍の直接の関与ではなく、軍が依頼した慰安婦斡旋業者による強制
ということらしい。
馬鹿馬鹿しい。「狭義の強制」とか「広義の強制」とか、こんな戯言をとうとうと述べて一国の宰相として恥ずかしくないのか?情けない....

よろしい。百歩譲って、あなたが勝手に定義した「広義の強制」」だけで、もう一つの「狭義の強制」というものの証拠がなかったとしよう。ならば、日本軍の責任はないのか?
泥棒を指図して、その盗品をくすねた大親分は罪がなく、実行犯の下っ端のみに罪がある
とでもいうのか?一体、その「狭義」とか「広義」とかの小賢しい弁明をして一体何を言いたいのだ?あなたは人権というものをどういう風に考えているのだ?

 安倍首相のこの発言が国会でなされた後、ある英字新聞で(滅多に読まないのだけど)こういう発言・態度に対して批判めいた記事が掲載されていた。折しも、アメリカ議会で旧日本軍の慰安婦に対する決議が討議されているので、何だか不安な気分であったのだが、案の定アメリカでこの発言が波紋を広げているようだ。当然だろう。例えば、金正日が「日本人拉致は、実行犯による強制であり、北朝鮮による広義の強制は認めるが、狭義の強制はない」と言っているようなものだからだ。自他を入れ換えてみよ。そうすれば、自分の発言がいかにタワケタものであるかが分かるだろう。
 ところがここに至って、今日のテレビでは安倍首相はこの件に関しては「誤解をさらに広げるので、もう言わない」と言っている。周囲の反発が予想外に大きかったので逃げたいというわけだ。要するにこの問題に対する腹が据わっていなかったのだ。これはこれで情けない。

 想像するに、最近の内閣支持率低下を懸念して、何か積極的な勇ましい態度を示したかったのだろう。慰安婦問題はそのための格好の題材だと思ったに違いない。たぶん、官邸のブレーンの勧めもあったことだろう。むろん、戦略としてそういう行動も否定はしない。しかし、このような直接被害者の人権に関わる問題を政治的に利用しようとする態度、しかもその人権を否定しようとする方向で利用しようというのは浅はかというしかない。
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by hiroi22 | 2007-03-08 23:26 | じっと思う

軽い、あまりに軽い--これを報道するのもどうか

 時代は違うかも知れないが、私が小学校の頃、担任の先生が、へこたれそうになった児童に、よく
そんなチョロコイ(=ふがいない、弱い)ことでどうすんのや
と言っていた。その先生の言葉には
これぐらいのことで弱音を吐いていたら、これからいろいろなことがあるのに負けてしまうぞ。ガンバレ。
という一種の激励のメッセージが込められていたのだ。そして、このニュースを読む。
中3男子が自殺、岐阜市で 「夢を否定された」と遺書
 6日午後2時40分ごろ、岐阜市鏡島精華のマンションの壁に設置されているパイプにビニールひもを掛け、市立中学3年の男子生徒(15)が首をつって死んでいるのを、通り掛かった人が見つけた。岐阜中署は、近くにあった学生かばんに遺書があり、自殺とみて調べている。遺書には「将来の夢を母親に否定された」などと書かれていた。2日朝に行方不明になっていた。同日夜に死亡したとみられる。
悪いけど、この自殺した中3男子に同情する気はない。ただ哀れな人間だったとしか言う他はない。上のことで言えば、こんなふがいないことではどうしようもない。
 「将来の夢を母親に否定された」から自殺したって?まるでお話にならない。親に否定されただけで壊れる「夢」とはなんだ?親にかなえてもらおうと思っていたのか?(今更言ってもしょうがないけど)
 とにかく、無知で軽い、あまりに軽い。「夢」という言葉にまるで実体がないことが分かる。一体、いつから「夢」という言葉がこんなに中身のないチャラチャラしたものになったのだ?

 もう一つ分からないのは、どうしてこの事件をニュースとして報道するかということだ。どういう価値観を持って、これが報道に値するものだと判断したのだろうか。
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by hiroi22 | 2007-03-07 01:08 | じっと思う

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