ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


by hiroi22

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カテゴリ:ずっと思う( 135 )

フォーク野郎の血が騒ぐぜ

 僕はどうもカラオケというのが苦手である.みんなで歌を歌うのは嫌いではないが,他人が一人陶酔の境地で歌っているのを見ると,自分はそれに加わりたくないという気持ちになってしまう.それにやはり機械の伴奏に合わせて歌うということに抵抗感がある.男はギターを持って弾き語りが似合う.特に秋の夜はそうである.学生時代はそうだったよなぁ・・・とおじさんは一人昔を思うのであった・・・
 TVでも昔のフォークソングなどを耳にすることがあるが,そんな時にやおら昔のギターなんかを取り出して,弾き語りでもやろうとしてもなかなか思い通りにはいかない.チューニングあたりはいい加減でよいとしても,コードが押さえられない.指先にタコができるほどは練習しないといけないが,そんなヒマも情熱もないあかんたれ状態である.そういうちょっとフラストレーションがたまった状態で見つけたのが,その名もズバリ Guitar というiPhoneのアプリケーション(下の写真).450円なり.
d0007533_21412255.jpg

 使い方は画面を見れば一目瞭然.コードを選択して,画面のギターを弾けばその音が出るといういたって分かり易いものだ.画面はディランIIの名曲プカプカのコードが羅列してある.これを曲のコード進行に合わせて選択してボロロンボロロンとかき鳴らせば一丁上がりである.音は弦ごとに出るので,アルペジオもできる.ちょっと訓練すればスリーフィンガーだって出来てしまう(と思う).ピックを持ったスタイルの演奏も大丈夫.コードは一画面10個まで登録出来る.やわな日本のフォークソングなら普通はこれで十分である.
 というわけで,秋の夜長にiPhoneを持ってギターをポロンポロン鳴らしている素敵なオジさんを見つけたら,それは私です.003.gif
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by hiroi22 | 2008-10-02 22:19 | ずっと思う

点数だけ見ることはしない

 前回の橋下知事の話のつづきで、なぜ点数至上主義がいけないかを書き留めようと思ったのだが、手っ取り早く人のblogを参照することにした。手抜きである。
 紹介するのはこれ(↓)
橋下知事もなかなかよい (今こそ中国を見習え 大日本帝国復興を目指す愛国ブログ)
「今こそ中国を見習え 大日本帝国復興を目指す愛国ブログ」というタイトルがいい。中身を読んで、また納得。面白いなあ。こういう手もあるのは承知していたが、徹底しているのがいい。最新の「やはり安倍晋三しかいない」という記事もいい味出している。(一応確認のために注意しておくけれども、彼は正反対のことを書いているのだよ)
 はじめの記事に戻るが、私は彼ほどラディカルな意見は持たないけれど、向いている方向は同じだ。彼の内容とは別に、「答えが決まったものを見つけ出す時間と正確さを競う」点数至上主義の弊害と限界を挙げよう。
 弊害とは何か。まず、「本質を疑う」ということしなくなることだ。与えられた問題には天与の答えがある。したがって、その問題の本質を考えることは意味のないことであり、ただひたすらその答えを見つけ出すことが善とされる。しかし、多くの場合「何が問題なのか」あるいは「その問題を具体的にアプローチ出来る命題に変えること」がまず問題になる。そのような問題意識がなければ、現実には無力になる。言い換えれば、誰かが指示をしてくれなければ一歩も動けない、という事態になりうる。これは点数至上主義の限界でもある。
 もう一つの弊害。これは論理力、あるいは論理的スタミナの欠如だ。時間が限られた状態で解答しなければならない。そのためには、ときに記憶に頼ったり、あるいは条件反射的ないい加減な理屈で、ともかく、それらしい答えを書き出すことになりがちである。物事を本質的に考えている暇はない。
 これについて忘れられないことがある。ずいぶん昔にNHK教育TVで受験か何かの討論を放送していた。そこで現役の高校生が数学について
「自分は、数学の問題とその解答を全て記憶した。しかし、テストで良い点がとれなかった。受験というものは努力が報われないものだ。」
と不満をぶちまけていたのを覚えている。当たり前である。彼は数学の理解とは全く違う方向に努力をしているのだ。そんな努力が報われるわけがない。
 彼の勉強は喩えていえばこうだ。駅を降りて自分のうちまで帰ることを考えよう。彼がやっていることは、一度帰宅するまでの自分の歩く方向と歩数を正確に記憶したということにあたる。ご苦労様なことだ。しかし、お分かりだろう。こんなことは何の役にも立たない。例えば天候、信号機の状態や、車、他の人の歩いている状態で自分の歩行は規制される。上に挙げた彼の勉強法はこれと同じだ。言い換えれば、何にも考えていないのだ。帰宅の話でいえば、人はもっと論理的に考えているはずである。つまり、あの信号を右に曲がって、向こうのアパートの手前の道を左折.....とかである。それは何もかも記憶しようということよりも多少は頭を使う作業である。しかし、結局はそれが一番効率的であるし柔軟性もあるのだ。数学の勉強法でいえば、多少とも抽象的な概念の理解とその特質の理解がまず先決だ。それには多少の論理のスタミナが必要だ。

 人が与えた問題の答えに手早く到達するのが何よりで、論理は二の次ということに慣れたせいなのか、基本的な論理に対する無知が目立つ。自分の周りのオバさんは橋下知事を支持していないので、オバさんは橋下知事を支持しない、なんて言説を持ち出すのはその最たるものなんだよぉ〜 ついでに言えば、この指摘は特定の個別部分を見て全体を結論づけることへの異議なのだが、それを個人的意見への否定と見なすということをやらかすというのは、何だろうね、条件反射?

うーむ、手抜きといった割にたくさん書いてしまったわい。
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by hiroi22 | 2008-09-16 01:46 | ずっと思う

相撲協会は批判に耐えうる組織なのか--again

 以下は、昨年の9月12日に書いたことですが、再び抜粋を載せます。「だから言ったじゃないの」と言いたいのです。

 私はこのblogで,例の「朝青龍問題」で相撲協会の対応を批判してきた.その中で,心に引っかかっていたのは,「いったい相撲協会のお偉方というのはどれほどの判断力,経験,問題対処能力を持った人達なんだろうか?」ということだ.彼らは現役時代番付の上位を経験した元力士たちばかりである.しかし「名選手必ずしも名監督ならず」ではないが,相撲が強かったからというだけでは,組織を運営出来る能力に長けてるとはいえまい.
 現在の北の湖理事長は,現役時代のしこ名で親方を名乗ることが許されるほどの大相撲の功労者ではあるが,彼は中学を卒業後すぐに三保ガ関部屋に入門している.つまり,人間形成期から一貫して相撲界という特殊な世界に身を置いてきた人なのである.今回のことも含めた一連の騒動の対処を見ると,彼は大相撲というものをマネジメントする人間としては不適格であると断定せざるを得ないのである.
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by hiroi22 | 2008-09-07 22:35 | ずっと思う

オーソライズされない“権力者”

 今の日本は一応「民主主義」ということになっている。つまり、政治は国民の意思によって決定されるというシステムである。その「国民の意思」は選挙を通して、それを確認することになっている。では、その意思を確認した前回の衆議院選挙とは何であったか?言うまでもなく2年前の小泉内閣での郵政民営化選挙である。そのときの結果がどうであれ、ともかく国民の意思決定はなされている。ただし小泉内閣とその当時に掲げる政策に対してである。ここでその選択の妥当性は問わない。ともかくも、当時の小泉内閣は国民から権力を付託されたといって良い。
 あれから2年が経った。しかし、時間は問題ではない。その中身である。内閣総理大臣は2回変わった。そして、今3人目が決まろうとしている。ところが、これらの「内閣総理大臣たち」およびその候補者の選択に対して「国民の意思」は全く示されていない。いや、正確に言えば昨年の参議院選挙で与党は惨敗を喫しているのである。したがって、制度上はともかく、民主主義の精神から見て、彼らが権力を行使する正当性は全くない。
 一昔前の自民党の愛すべき古狸の政治家たちはこういう時には「憲政の王道から解散すべきだ」と言った。「憲政の王道」とは時代がかったやや大げさな言葉である。古狸が好きな言い回しである。しかし、彼らの言わんとすることは正しい。国民の意思決定を経ずして得られる政治権力があるとすれば、それは独裁である。麻生だ小池だと名前は挙がっているが、彼らが自民党総裁選挙というものだけを経て総理大臣となり、そして2年前の彼ら自身の政策など一言たりとも口にしなかった選挙結果の上にあぐらをかいて、政治権力を行使しようと考えているのならば、彼らは民主主義の徒ではない。単なる権力主義の輩である。そうでないならば、直ちに衆議院を解散して民意を問わなければならない。
 この種の議論をすると「政治空白を避けるために解散は避けるべきだ」という意見が出る。私に言わせればこの意見は欺瞞もいいところである。国民から真の付託を受けていない権力者が勝手にわれわれの税金を使い、その政策を押しつけるくらいならば、選挙のための政治空白など問題ではない。第一、選挙のための政治空白やらを恐れていては選挙など出来はしないではないか。
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by hiroi22 | 2008-09-04 00:10 | ずっと思う

なぜ沈黙する「自己責任論者」たちよ

 私はもうそれは呆れるくらい生活力・たくましさに欠ける人間で,少し住環境,食環境が変わったところに行くとすぐに立ちいかなくなってしまう.だから,生活環境や文化の全く異なる海外へ渡って,ボランティア活動をしている人々には常々大きな尊敬の念を抱いている.特にイラクやアフガニスタンなど,身の危険さえある場所での活動に自ら進んで身を投じるという人々に対してはことさらだ.我が身の意気地なさと勇気のなさに恥じ入るばかりである.
 アフガニスタンで長年ボランティア活動をしてきた伊藤和也さんにも同じ思いを持っている.地元の人に慕われていた彼の捜索には,1000人以上の住民が進んで捜索活動をしたという.伊藤さんは,活動していたペシャワール会への入会動機に次のような言葉を残している(抜粋).
 私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。

 私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。

 子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。

 甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。

 しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。

 そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。
彼は不幸にして31年の短い生涯を閉じたのだが,私などよりもはるかに多くの人々を救ったのだと思う.彼のような若者の存在は,われわれの社会もまだ捨てたものではないということをあらためて認識させる.そして、何も出来ないわれわれは,せめて彼らのサポートをと思うのである.
 ここで私が忘れられない、決して忘れたくないのは,数年前イラクで同じようにボランティア活動をしていて人質になった人々に対する「自己責任論」をかざしての激しいバッシングである.イラクでストリートチルドレンの世話を献身的に行なっていた高遠菜穂子さんらの活動は,今回の伊藤さんの活動と何ら変わらぬ尊敬すべきものだ.当時私は、この激しいバッシングを見ていたたまれなくなり,「イラクで人質になった方々への敬意表明と激励の緊急アピール」というものに参加した.全くささやかな抵抗というべきものだったが...
 私は言いたい,当時あれほど高遠菜穂子さんらのバッシングを続けた読売新聞,週刊新潮,週刊文春よ,今回も沈黙せずに「自己責任論」をかざして伊藤さんや家族に対して激しいバッシングをするがよい.出来ないのならば、当時の自分たちの言説の誤りを認めなければならない.それをせずして沈黙することを卑怯と言う.
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by hiroi22 | 2008-08-30 14:21 | ずっと思う

星野批判と言うけれど

 北京オリンピックで「星野ジャパン」が4位に終わり,当初豪語していた金メダルどころか銅メダルも取れずに終わった.このことで星野監督の選手起用,采配などに批判が集まっている.オリンピック史上初のオールプロという布陣で臨んだにもかかわらず,3A主体のアメリカ,プロ野球としては日本よりは後発の韓国に連敗したのだから批判は無理からぬところではある.相手も懸命にプレーしてでた結果であることを考慮してもである.
 しかし、ちょっと待って欲しい.彼に対する批判,短期決戦向きでない采配,情に任せた選手起用 etc.,その多くは初めからわかっていたことである.例えば、彼はチーム結成時に故障を抱えた選手が多いことに関して
「(ケガがあっても呼ばれれば)ついて来てくれるなんて、うれしいじゃないか
と言っていた.あるいは、調子の悪い選手に「やれるか?」と聞いて,当の選手が「やれます!」と言うのを聞いて採用していたという.そして
「選手を信じる」
と何度も繰り返していた.これらの言動に見られる星野監督の選手選考,選手起用によって,日本チームは故障だらけの選手の集まりとなり,さらに,選手の調子には目をつぶり「選手を信じる」という硬直した用兵によって手痛い敗戦を招くことになってしまった.
 しかしである、オリンピック前にこれらの言動を批判した言葉を私は聞いたことがない.今語られている多くの批判は負けたから出ているに過ぎない.仮に金メダルで終わったとすれば,
「選手がケガを克服して,星野監督の男気に応えた」
とでも褒めそやすのだろう.
 勝てば悪いことには目をつぶり,負ければそれをあげつらう.私はそういう態度は嫌いである.星野監督の持つ「浪花節的な」体質,古い精神論,体育会系の考え方になびくのなら,結果のみを見た皮相的な批判はするべきではあるまい.批判をするのならば,その前に彼の言動に無批判だった自らを省みてからでなければならないはずだ.そうでなければ同じことの繰り返しである.進歩などというものはありはしない.
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by hiroi22 | 2008-08-26 21:58 | ずっと思う

野球とサッカーの代表監督

 暑い.しかし夏らしくて私は好きだ.ただし、今年はお盆休みもなく忙しいのが困る.暑さよりもそちらの方がキツい.というわけでblogの更新もままならない.

 オリンピックもたけなわなので,スポーツについて考えることも多くなっているので,例によって書き留める.
 野球とサッカーの代表監督の話である.野球とサッカーは団体競技ではあるが,両者はその性格はだいぶ異なる.野球の方は,打者と投手が居ずまいを正して「いざ、勝負」と始まり,得点も走者が決められた走路を進むことによって加点される.サッカーはせわしなくボールが動き,点が入るシーンも様々だ.代表監督にしても,選手をピックアップする哲学は両者で全く異なると思う.ちょっとそれを書いてみる.
 代表選考については,野球の方が簡単ではないかと思う.選考基準がはっきりしていると言うべきかも知れない.選考基準は,投手にせよ野手にせよ成績が第一である.監督の個人的な哲学で最終的なメンバーについての任意性は残っているが,シーズン中の数字が悪い選手は候補にも挙がらないだろう.最終選考またはその直前の候補選手たちは誰が監督になって選んでも大差はないと思われる.
 これがサッカーとなると、一筋縄ではいかないと思う.まず、個人として数字に表れる成績が少ない.ゴール数だアシスト数だといっても,それはチームの中の話である.チーム構成が変わった時にでも同じ数字が残せるという保証はない.ゴールキーパーなどの守備陣に対しては,そのように目に見える数字すらない.代表選考においては,選手個々の能力を見極める力と監督自身が持つチームに対する考え方が代表選考の拠り所になっているのだろう.
 実際の試合での采配となると,今度は野球の監督の方が悩みどころが多くなる.打順,投手の起用から始まって,試合中の様々なシチュエーションに応じて判断すべきことが多くなる.他方、サッカーの試合においては野球ほど監督の采配が前面に出ることはないと思われる.90分間で交代が許されるのはたった3人だし,どんな指示を出しても選手が動かなければ無意味だからである.逆に言えば、選手を選んだ段階である程度戦略・ゲームプランは見えているはずである.無論、監督の采配で勝敗が動くこともあろうが、それは野球に比べるとはるかに少ないだろう.つまり、代表チームにあっては,野球では試合に臨んでの作戦によって,サッカーでは選手選考がチームの力を決めると思うのである.

 オリンピックでは早々に日本の男子サッカーは姿を消した.これは個人的には,ちょっと相手が強すぎた,不運な組に入ってしまったと考える.他方、野球は戦前の意気込みとは裏腹に,今日は韓国に負けて2勝2敗という成績になっている.この成績が日本の実力として不本意なものとすれば,上に述べたことから試合の臨んでの采配ということが問題になるのだが,どうも今回は選手選考そのものに疑問がつくとずっと思っている.星野監督の「お友達コーチ陣」も何だか頼りないのだけれど....まあ、負けたから批判しているようで心持ちが良くないので,今回はこれ以上はコメントしないことにする.
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by hiroi22 | 2008-08-17 00:51 | ずっと思う

レトリックの虚しさ

 オリックスの清原選手が「引退も視野に入れて」1軍復帰するという.

<オリックス>清原、引退も視野に 3日に2年ぶり1軍復帰

ここ2年間,野球選手として何も働いていないにもかかわらず1億5千万もの年俸をもらっている選手である.自分が支払っているわけではないからとやかくは言わないが,まあ日本球界というのは甘い世界である.いやいや,甘いのは球団だけではない.

2シーズンぶり1軍の打席 清原復帰、三振にも拍手
 プロ野球オリックスの清原和博内野手(40)が3日、昨年受けた2度の左ひざ手術を乗り越え、京セラドーム大阪で行われたソフトバンク15回戦の7回、代打で出場した。1軍戦出場は06年9月8日以来。同内野手の名前がコールされると、球場全体から大きな歓声が起こった。今でもプレーの際には、ひざの周辺に約1キロの器具を装着しなければならない。三振に打ち取られたが、スタンドからは大きな拍手を送られた。
代打で出てきて三振した1億5千万もの高給取りの選手に拍手をするファンも甘い.オリックスに限らず,若手からベテランまで揃っているチームということを考えれば彼のような存在にはもっと厳しい目が向けられるべきだ.

 最初に挙げた記事の中で、清原選手が面白いことを言っている.彼の考え方が見て取れる.
 「自分から話させてほしい」と切り出した清原内野手は、「以前のようなバッティング、プレーができるのか。無様な姿をさらけ出すかもしれない」と不安な胸の内を吐露。「このままの状態では、来年はグラウンドに立てないと思う」と悲壮感をあらわにした。
(中略)
――(背水で臨む)決意を家族に伝えたか。

 ◆やっぱり両親に伝えるのがつらかった。1軍復帰が決まり、先祖の墓参りに行った時に母親をおんぶしながら伝えた。(母親は)泣いていました。

 ――高校野球も始まった。壮絶な戦いが始まるのか。

 ◆それ以上の僕も経験したことがないような、23年間の最後の一番の壮絶な戦いが始まると思っている。
自ら切り出した話の内容は,私に言わせれば,自分で自分をドラマ化している,と思う.はっきり言って、私はこういうのはあまり好きではない.
 ドライな言い方をすれば,一人の選手が衰えて引退間近なだけである.無論,彼の個人的なファンの人達にはそれ以上の感慨があるだろう.しかし、野球ファンは彼の個人的ファンだけではない.したがって、上述のようなことをとうとうと述べるのはある種の思い上がりを私は感じる.

 野球というのは,ボールを投げてそれをバットで打って、走って得点を競うというものだ.速い球を投げる,ボールを強く上手く叩く.ただそれだけである.それをお金を払ったファンがどう感じるかはファン一人一人の問題である.それに対して選手の側が「23年間の最後の一番の壮絶な戦いが始まると思っている。」と言い放っても鼻白むだけである.選手のプレーをどう感じるかは見ている側の領分で,プレーする側が規定する話ではない.これは今開催されている高校野球でも同じで,高校生には「感動を与えるプレーをします」などと宣言して欲しくないのである.(一体いつからあんな言葉をいけしゃあしゃあと言うようになったんだろうか?)誰かが知恵をつけたのかも知れないが,変なレトリックは虚しい.
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by hiroi22 | 2008-08-04 00:24 | ずっと思う

ユーザーインターフェイス

 明日から1週間ほど海外出張.そのため、今は準備に追われているが,息抜きに駄文を一くさり.
 iPhone 3Gは相変わらずしっかり使っている.そのため毎日充電しなければならない.それまで持っていたケータイが4、5日に一回の充電で済んでいたのとは大違いである.iPhoneが電気を食うデバイスということもあるが,それよりもまず使用頻度が比べ物にならない.iPhoneはついつい使ってしまう.それもそのはずで,かつて「極私的携帯電話論」であげた望ましい条件をiPhoneは,バッテリーの持続時間を除きすべてクリアしているのだから.
 極私的携帯電話論(2006.10.15)
 さて、タイトルのユーザーインターフェイスだが,私がこれまで使ってきた携帯電話とiPhoneの違い,それはハードウェアの違いもあるけれど,ユーザーインターフェイスで決定的な違いがある.
 例えば、電話をかけようとしたとき,私が使っていた携帯電話で電話のアイコンをチョイスしようものなら面倒なことになる.電話番号を入力せよという脅迫画面になるのだ.相手の電話番号なんか覚えているわけがない.で.電話帳を参照ということになるのだが,これが使いにくい.電話帳で相手を捜すのも面倒なのだが、首尾よく相手が見つかっても,電話をかけようという相手であるにもかかわらず,メールアドレスが最初に出てきたりするのだ.その画面を小さな矢印キーで操作するのだからストレスが溜まってしまう.iPhoneの場合は下のような画面になる.
d0007533_23155969.jpg

おわかりだろうか.一目で使いやすさが伝わってくる.この画面を見て,あらかじめ登録している相手先(よく使う項目)や履歴から発信することに迷う人はいないだろう.自慢じゃないが,ワタクシは前の携帯電話は2年以上も使っておりましたが,こんな機能は使ったことはございません.使えるかどうかもわかりませぬ.(使えるんだろうけど)
 つまり、人は電話をかけようと思ったら、まず電話の機能を呼び出すことをするのが自然というものである.それから、電話帳を調べようとか、リダイヤルでよいとか、どうしようかと考えるのだ.したがって、そういう行動がスムーズに行なわれるのが望ましい.電話をかける前に、電話帳からか、履歴から相手を選ぶとかの選択を先にしむけるような,あるいはそういう選択をまずした方が面倒がなくてよいような使用法では,ユーザーにストレスが溜まる.さらにいえば、そういう機能が全然明示的じゃなければ使う気も起こらない.
 これはメールに関しても同じで,前の携帯電話では新規メールを書こうと思ってメールアイコンを選ぶと、またまたややこしいことになる.相手のアドレスは当然ながら覚えていない.それでアドレス帳検索ということになるのだが,それを行なおうとすると,メニューの先頭が「送信」となって、それが選択状態になっている.まったく、アドレス欄が空なのだから「送信」なんぞできるはずがないのだが,毎回この状態で十字キーをシコシコ押して「アドレス帳検索」を選択しなければならない.だから新規メールをかく一番効率的な方法は、新規メールではなく,まずアドレス帳を呼び出すことなのだ.しかし、これも上と同様全く不自然な方法なのだ.新しくメールを書こうとする時に一番自然に選択するのは新規メールコマンドであるべきなのだから.
 iPhoneではもちろんこんな馬鹿な仕様ではない.新規メールを書こうとして,アドレス欄に名前の最初の文字(メールアドレスの最初の文字でもよい)を打つとアドレス帳に登録してある候補の名前がサ〜と出てくるのである.あとは名前を見て目的のアドレスを指で選べばよいのだ.
 下の画面は私のiPhoneのホーム画面である.並んでいるアイコンとその説明を見ればそれが何を表すかは、普通の成人ならばだいたい想像がつくだろう.機能を明示的に示して,心理的に自然な流れのユーザーインターフェイス.それがなければいくら機能満載でも意味がないのである.おおっと,旅行の準備をさぼってblog書きに思わず熱中してしまった!
d0007533_2341684.jpg

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by hiroi22 | 2008-07-26 23:50 | ずっと思う

野茂の”引退”

 野茂英雄がついにユニフォームを脱ぐことになった.これまで,このblogで僕は野茂について賛美を惜しまなかった.しかし,一方で野茂の力の衰えから「引退」という言葉を意識していたのも確かだ.それを表す言葉をいくつか拾ってみよう.
 どんな職業にも引退は避けられないが,スポーツ選手,特に野茂のような華やかな経歴を持った選手はその身の処し方が注目される.CMのように,もう一度這い上がるのか,それともこのまま引退となるのかはわからない.しかし,私は「もう一度勇姿を見せてくれ」とも「このまま潔く身を引いてくれ」とも言わない.言おうとも思わない.どういう道を選んでも「野茂」は「野茂」であるからだ.
 これまで,彼は自分の信じるところを愚鈍なまでに進んできた.それは私に強烈なインパクトを与えた.それが成功したかか否かは問題ではない.だから,私は今後のことについても,そういう彼の行動原理をそのまま受入れ、支持し,見守りたいと思うのだ.むろん,心の中では,もう一度勇姿を見たいと思っているのであるが.... 
(久し振りに野茂のことを書く 2007/6/10)
 彼によって勇気づけられたし,彼と同時代に生きたことは僕にとって幸運だった.しかし,実際のところ僕は野茂をどう賛美したらよいのかわからないのだ.陳腐な言葉の羅列で彼を表現したくはない.

 いつの日か彼もマウンドを去る時が来るのだろう.おそらくそのときも野茂らしく,じっと前を向いて去ってゆくに違いない.それまでにファンの一人としてきちんと心の整理をしておこう.  
(野茂という姿勢 2008/4/8)
 そして今更ながらだが,日米通算200勝を挙げた時に感じた悪い予感が当たってしまった.
しかし、今回ちょっと気になったのは,意外と野茂がこの記録を意識していたということだ.
いつもなら,
「一つの数字,通過点であまり意味はない.」
みたいなコメントをするところだろうが,そろそろ「通過点」ばかりではない状況になってきていると本人が思っているのだろうか.そうだとするとちょっと寂しい.
(野茂の前に道はない,野茂のあとに道はできる 2005/6/17)
 今回の引退について,「お疲れさま」とか「勇気をくれてありがとう」といったそんな陳腐な言葉は野茂には使えない.寡黙だが自分の言葉と行動で飾ることなく自分を表現した人間に,他人がどんな声をかけられるというのか?ただ,彼の姿勢を心に刻むのみ.
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by hiroi22 | 2008-07-22 22:50 | ずっと思う

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