ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


by hiroi22

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリ:じっと思う( 312 )

ユーザーインターフェース2

 「技術者の高慢」ということをいつか書いた覚えがある。平たく言えば、「高機能・多機能な製品」であることにばかり目を向けて、ユーザーインターフェース(使い勝手)が全くお粗末なことを指す。例えば昔のMS-DOSパソコン、現代の満艦飾の携帯電話。この「技術者の高慢」を痛感させられるニュースに出会ってしまった。嘆かわしい。

東芝、レコーダー本体だけで録画予約ができる「VARDIA」新モデル

何でもTVをつけなくても録画予約出来るレコーダーということらしい。一見、便利な機能のようである。しかし中身を読んでため息をついてしまった。この機種の一番の売りが「かんたん本体予約」というものらしいが、それはどんなものか。
 「かんたん本体予約」機能を利用すれば、テレビをつけずに予約が行える。本体の液晶表示に録画曜日と時刻、チャンネルを入力し、放送番組名を表示して、決定ボタンを押すだけでよい。リモコン操作でテレビの画面を見ながら予約できる「かんたん予約」機能も搭載する。
 これを読んで、全く一体何を考えているのやらと正直思ってしまった。現在、デジタルTVになって録画予約はかなり便利になったと思っている。何しろテレビ画面に番組表が表示されるのだから。リモコン操作という壁はあるが、従来のわかりにくい録画予約の操作に比べれば雲泥の差だ。おかげで録画の失敗もかなり少なくなった。
 で、この機種はその便利になったテレビ画面による録画予約をしなくてもよいという機能がついている。従って、論理的に考えれば、その新しい機能による予約方法はテレビ画面によるそれよりもわかりやすいか、悪くても同等のものでなければならない。ところがその方法は「本体の液晶表示に録画曜日と時刻、チャンネルを入力し、放送番組名を表示して、決定ボタンを押すだけでよい。」だそうだ。これじゃ古いわかりにくい操作方法に逆戻りじゃん!それに、製品の写真を見てもわかるが「本体の液晶表示」の画面が小さい!(下の写真参照)つまり、録画予約するには番組表の載っている新聞を片手に持って、さらにリモコンを持って本体ににじり寄って、曜日と時刻、チャンネルを番組表を見ながらリモコンのボタンを押して入力しなければならないのだ。これなら、座ったままリモコンをピッと押してTVをつけて、画面で番組表を見ながら予約した方が数段楽である。結局こんな”新機能”はほとんど使いようがない意味の無いものだ。ほんとに何を考えているのやら・・・
d0007533_22292688.jpg

 ついでにもうひとつ文句を言わせてもらうと。
 通常のリモコンに加え、頻繁に使うボタンだけを集めたシンプルリモコンが付属する。シンプルリモコンはテレビ電源の入/切や音量調整など、要望の多かった操作キーを加えて刷新した。
 これもお馬鹿な”配慮”である。2つもリモコンがあったらどっちかすぐになくなってしまうね(きっぱり)。

 ここで感じるのは基本的な想像力の欠如だ。あるいはユーザーの現状に対する無知と言ってもよい。ビデオとTVのリモコンを持って右往左往している家人を見ている私にはよく分かる。
 東芝にS. Jobsを求めるのは無理というものだけれど、Jobsならこんな貧相なユーザーインターフェースは絶対に許さないだろう。例えばTV・ビデオのリモコンは今あるようなものである必要は全くないのだ。昔のようにチャンネルが少なく、ビデオも何もない時代ならいざ知らず、多チャンネル・デジタルTVの時代に昔のユーザーインターフェースを引きずる必要は一切無い。アップルがTVのリモコンを再発明する前に日本のメーカーがそれをやる気概を見せてほしいものだ。
[PR]
by hiroi22 | 2009-01-26 23:04 | じっと思う

オバマ新大統領

 TVや新聞ほど熱心ではなかったオバマ新大統領の就任。私はどちらかと言えばヒラリー・クリントン派だったせいだろうか。それでもブッシュ前大統領よりはずっとマシだ。ともあれ歴史的なことには違いないので、思いつくまま感じたことを書き留めておこう。
 正直言って、オバマ新大統領が民主党の指名争いをヒラリー・クリントンと戦っているときは、彼についてはどうもうさんくさい印象を持っていた。何より知らない名前だし、その人気も演説も何となく上滑りのような印象があった。これは今でも私の心のどこかにある。オバマ氏の演説や政策を知ったあとでもである。では、彼の演説や政策に引っかかるところがあるのかと問われれば、答えは「NO」。私の知る限り彼の理念は真っ当であると思う。朝日新聞に彼の大統領就任演説の全訳が掲載されているが、たとえば
 今日、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、ここに集まった。今日、私たちは、長らく我が国の政治の首を絞めてきた、狭量な不満や口約束、非難や古びた教義を終わらせると宣言する。
にはブッシュ前大統領の政策への強烈なしかし「徳のある」批判を見る。また、
私たちの経済的な成功は、国内総生産(GDP)の規模だけではなく、繁栄がどこまで到達するかに常に依存してきた、つまり、意欲のある人にどれだけ機会を広げられたかだ。慈善心からではなく、それが、私たちの共通の利益への最も確実な道筋であるからだ。
と断言出来ることもすばらしいと思う。この言葉を発することができる彼は、格差社会を容認する新自由主義者の明確な批判者であると私は考える。そして
 なぜなら、私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないからだ。私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ。
と述べた言葉はキリスト教原理主義に近いブッシュ前大統領は逆立ちしても言えないものだ。
 この大統領就任演説後、オバマ新大統領は早速中東首脳と電話会談をして、中東和平への意気込みを示している。グアンタナモ米海軍基地(キューバ)の収容所の閉鎖も即断した。

 ふむ、このように見てみると私の懸念は杞憂に終わるような気がする。上でも少し書いたが、オバマ氏の演説には何かしら「徳」を感じる。そして、それは理性に裏付けられている。それに引き換え、わが日本の二世議員にして差別主義者のprime ministerは「不養生でなった病人の医療費をなんで私が払うんだ」なんて平気で言ったりするのである・・・・(sigh)
[PR]
by hiroi22 | 2009-01-22 23:17 | じっと思う

「或る女」と「三四郎」

 最近凝っているのがiPhoneで読む「青空文庫」。つまり著作権の切れた小説などを読むことである。「著作権が切れた」小説であるから、その多くは文豪、名の通った明治・大正の作家の作品が多いのはいうまでもない。iPhoneではその青空文庫を読むためのアプリケーション(200円〜400円弱)を購入すれば、7000以上の作品の中から無料で好きな作品をダウンロードして読むことができる。
 読む前は電子書籍などよりも普通の本で読む方がきっと読みやすいと思っていた。しかし、読み始めてみるとこっちの方がずっといい。第一にフォントの種類と大きさに自由度がある。つまり「はっきりした大きな字」が選択出来るのだ。そして、手軽に読むことができる。文庫本であれば鞄などから取り出し、しおりを手繰って読みかけのページまでたどり着かねばならない。一方iPhoneだとこの操作が片手一本、指先で出来る。青空文庫のソフトを立ち上げれば直前に読んでいた作品のページが表示される。ページを繰るのも指先ひとつで済む。ソフトウェアの反応もきびきびしていている。iPhoneなので音楽を聴きながら読むことができる。メールが来れば即座に対応出来る。本を読むのに飽きたらインターネットをすればよい。ゲームが好きならゲームに切り替えてもよい。読み終え別の作品を読みたくなったらダウンロードすればよい。普通ならものの1、2分で別の作品が手に入る。多少混み合った通勤電車の中でも吊り革片手に操作出来る。こういった操作環境は私にはとても快適である。
 最初にダウンロードして読んだ記念すべき作品が有島武郎の「或る女」である。この作品を選んだのは格別の理由はない。名前は知っていたが読んだことがない。有島武郎は作者名の「あ」行のリストの作家。そして「或る女」は作品名の「あ」行の作品。こういう偶然でダウンロードしたに過ぎない。しかし、読み始めて驚いた。とても明治・大正の作家の作品とは思えないほど毒々しい、あるいは生々しいのだ。この作品の「或る女」とは早月葉子という女性である。この女性が25、6歳のわずか1年ほどの、しかしすざましい話である。
 「煩悩」という言葉がある。この話のヒロインは倉地という男への愛を貫くためにこの煩悩をすべて背負った人に見える。嫉妬、虚栄心、不義その他の人間としての裏の部分が葉子を通して語られる。それをあからさまに記述しながらも読者を引きつけて離さない作者の力量は驚嘆すべきだが、私は読みながら恐怖心さえ覚えた。それはおそらく落ちていく葉子を正視出来ない感情から来たものだろうと思う。
 もうひとつ、この作品で驚かされたのは「とってもエロい」ということだ。不勉強ながら、明治・大正の作品にこんな赤裸々な描写があるとは思っても見なかった。下はその一部である。
d0007533_23411712.jpg

このような描写が所々に顔を出す。もちろん、現代のポルノ小説ほどに直截的ではない。しかし、読み方によってはそれ以上の性描写をしていると思う。
 この「或る女」の毒を抜こうとダウンロードしたのが夏目漱石の「三四郎」である。「三四郎」は学生時代を初めとして数回読んだ記憶がある。ところが情けないことに内容に関しては全く記憶がない。今回読んでようやくこんな話だったのかと得心した次第である。
 夏目漱石はやはりうまい。叙述もそうだがこの作品の三四郎と美穪子の感情の機微の描写がうまい。特に「三四郎」の以下の終わり方が好きである。後に残る複雑な余韻が心地よい。
d0007533_23571944.jpg

この作品を鑑賞しながら、今まで何度も「三四郎」を読んで私は何を感じていたのだと疑問に思った。おそらく何も感じていなかったのだろう。この作品はストーリーとしてはおとなしいものだ。従って、推理小説を読むようにストーリーを追うような読み方では後に何も残らないかも知れない。「或る女」で頭をがつんと叩かれたためか少しは文章を読む力がついたようである。
 ついでながら「或る女」の最後も掲げておく。「三四郎」とはまったく違う、何ともいえないやり切れなさが残る最後だった。
d0007533_092475.jpg

[PR]
by hiroi22 | 2009-01-16 00:09 | じっと思う

坂本さんたちがアホなことをやらかしました

 たまたまなんだけど、二人の坂本さんがアホなことをやらかしました。一人は言わずと知れた坂本政務官。首を切られて行き場をなくし、師走の寒空の公園でテント暮らしを余儀なくされている人々を見て;
「本当に働こうとしている人か」
ってさ。口をあんぐり。
坂本政務官「深くおわびしたい」 失業者めぐる発言を撤回、謝罪
 坂本哲志総務政務官は6日午前に総務省で記者会見し、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に集まった失業者らをめぐり「本当に働こうとしている人か」とした自らの発言について「関係者に迷惑をかけた。発言を撤回して深くおわびしたい」と謝罪した。責任の取り方については「地方をもっと活性化させる意味で職責を全うしたい」と述べ、辞任を否定。発言に関しては、激励の電話があったとも強調した。
トンデモ発言で開き直った中山某よりはマシかもしれないが、謝罪しておきながら「発言に関しては、激励の電話があったとも強調した。」とは往生際が悪い。こんな発言を支持するのはまともな判断力・人間性の持ち主じゃなく、おバカなネット右翼風情しかいないのがわからないのだろうか。いろんな意味で愚かじゃのう・・・・

 二人目の坂本さんは「大」産経新聞のローマ特派員の坂本鉄男記者。彼が新年早々発信したイタリアからのコラムでの主題がなんと
日本人はイタリア人より怠け者(!?)
してその理由が
イタリアに比べ日本は祝日が多いから(!?)
 アホだね〜(^_^) 実をいうとこの記事のことはdj19さんのblog(↓)
産経の坂本鉄男記者の外信コラムがひどい
で知った。この記事の突っ込みどころはdj19さんのblogを見て欲しいが、しかしまあこの坂本記者はローマ特派員として一体何を見聞してきたのだろうかと思ってしまう。また、こんなアホな記事を公然と掲載する産経の編集者も編集者だ。朝日新聞ならこんなことはあるまい。これが入社試験における朝日と産経の偏差値の差だとしたら、おじさんはとても悲しいぞ。
[PR]
by hiroi22 | 2009-01-07 00:06 | じっと思う

新年の所感

 正月といっても物理的には何の意味もない。地球が太陽の周りを公転しているひとつの通過点に過ぎない。では社会的に意味があるかと言えばそれも疑問ではある。新年だといって大騒ぎすることによって何らかの利益をこうむる人達に取っては意味があるかもしれないが、ほとんどの人達に取って、正月気分が抜ければすべては元の木阿弥になってしまうのではないだろうか。(子供にはお年玉という意味はあるか...)しかし個人レベルでは何か心理的に再出発またはリセットという気分になることも確かである。
 とまあ、こんなへ理屈を並べるのがいつもの悪い癖であるが、個人的意見の書き散らしblogとして自分自身の2009年所感を書く。つまり今回は完全なる私自身のことに関する覚え書きである。で、中身はというと「今年は(少なくともしばらくは)仕事に徹する」ということである。では、去年まではどうだったのかというと、もちろん仕事はしていたがどこか第三者的であった。身の入れ方が不十分だったような気がするのである。このような態度を今年は入れ替えようと思う。
 どうしてこんな心境になったか。それは去年の大晦日の夜、除夜の鐘を遠くに聞きながらうつらうつらとし始めたとき、なぜか若い頃の仕事ぶりが思い出されたのだ。あの頃はとにかく脇目もふらずに仕事に没頭していた。当時ある人から、その態度をして「怖い」と言われたことがある。それほど仕事に対してギラギラしていたんだと思う。
 最近はというとどこか物わかりがよくなり丸くなっている。それは役職が変わり、指導的な立場になっていることも関係しているかもしれない。対人関係も気を使わないといけない。・・・・しかしそれは言い訳であることは自分が一番よく知っている。
そうだろ?hiroi22君よ
[PR]
by hiroi22 | 2009-01-05 23:26 | じっと思う

ひとつの見識

 最近はたいていのニュースはWebで見ることができる。各新聞の社説なども同様である。しかし今のところ新聞のすべての内容がインターネットで見ることができるというわけではない。例えば読者の投書、意見などがそうである。昨日(12月26日)の朝日新聞の朝刊の投書欄にある「私の視点」で「ふむ」と思える投稿を目にした。「私の視点」というのは読者からの投書欄と同じ紙面だが、専門家の投稿が多く、一般の投書よりもやや格上の位置づけであると思われる。
 この投稿は医療費の話で投稿者は青山学院の社会保障法の教授。麻生首相の「予防にもっと力を入れることによって医療費全体を抑制できる」という発言をきっかけとしている。私のような素人は麻生首相の「不養生でなった病人の医療費をなんで私が払うんだ」みたいな発言は容認できないが、この発言はそうかいなとスルーしてしまう。しかしこの投稿は次の文章でそれをあっさり覆してしまった。
もっとも医療費のかからない国、それは多くの人が乳幼児のうちに死んでしまう国である。生き続けていたらかかっていただろう何十年分もの医療費が不要になるからだ。
なるほど・・・確かに説得力がある。目から鱗が落ちたとはこのことだろう。
 投稿者はこの中で医療費というものに対するこれまでの政治の姿勢を批判している。次のような文章が続く。
誰しも医療費のかからない短命の国よりも、医療費のかかる長寿の国に生まれる方を望むだろう。医療費や社会保障費の多寡とはかかわりなく、疾病が予防され、人が健康でいられることに価値がある。私たちは医療費のために生きているのではない。「より良い生」のために生きているのである。
 疾病予防はなぜ大切なのか。それは人間の命や健康そのものに価値があるからである。医療費のためではない。
 「医療費抑制」という言葉が錦の御旗になって医療現場に様々な「改革」がなされてきたこと、そしてそれが医療現場・患者に大きな弊害をもたらしてきたことは私も目の当たりにしている。投稿者の言う「人間の命や健康そのものに価値があるからである。医療費のためではない。」という主張は「改革」というものを押し進めてきた人々、特にその責任者に突きつけたい言葉である。
[PR]
by hiroi22 | 2008-12-28 01:14 | じっと思う

多分私はひねくれ者

 今日は大きなスポーツイベントが朝から目白押しだった。まず午前中から全国高校駅伝女子、続いて午後から男子とアメフトの甲子園ボウル。息つく暇もなくガンバ大阪の出るサッカークラブ世界第3位決定戦。それが終わったらM1グランプリを横目にサッカー世界一決定戦。日がな一日テレビの前にどっかり座り込んでしまった。このたくさんのイベントのうち、高校駅伝に「感動した」という私の知人がいる。でもね、このひねくれ者のおじさんはそうは思わないのである。
 私は高校駅伝は好きである。毎年この時期には楽しみにしている。区間によってランナーの力の差を考えてハラハラどきどき観戦できる駅伝の方が、たった一人が走るマラソンよりも好きである。ところが今年は妙なルール変更があった。「外国人留学生は最長区間の1区を走ってはいけない」というものだ。従来からケニヤなどからの留学生の扱いは問題だった。彼らと日本の選手の力の差が大きすぎるのだ。NHKで全国放送される駅伝で高校の名前を挙げようと留学生を多く抱えて出場する、そんな事態は大会の趣旨から好ましくないことは理解できる。だからこそ外国人留学生のメンバーは1名までと制限していることもやむを得ないのかなと思う。しかし「最長区間は走らせない」とはあきれる。
”長い距離を走られては日本人高校生と差がつきすぎてお手上げである。だからもっと短い距離を走らせよう。”
きっとこういう風に主催者のお偉方は考えたのだろう(それ以外に理由が思いつかん)。そうだとするとあまりにもセコい。それにスポーツマンらしくない。日本人高校生に「キミタチは遅いので彼らにまともに立ち向かうのは無理」と最初から匙を投げた格好だ。こういう考えは気に入らないね、わたしは。「同じ高校生だ。思い切ってぶつかれ。」となぜ励まさないのか。
 実際、外国人留学生が走らなかった「花の一区」は今年はどうだったか。薄々予想していた通り、男女ともお互いに牽制し合ってスローペースの非常につまらない展開だった。外国人留学生が走っていた去年までなら、彼らがレースをぐいぐい引っ張って日本人高校生ランナーが必死で追いすがるというアクティブな展開であったが、日本人ばかりだと皆が冒険しないスローペースに落ち入ってしまった。元気はつらつたる高校生達なのだが、心の中では
ここで飛び出して目標にされて順位を落としたらどうしよう
という消極的な考えが支配していたんだろうなあ。いかにも「出る杭は打たれる」という日本的な風景で、失望しながら見ていた今年の高校駅伝であった。
[PR]
by hiroi22 | 2008-12-21 22:44 | じっと思う

あの喧噪はなんだったんだろう

今でも僕は思い出すのさ あのときのこと あの日の人

というのは、私の好きなフォークソング「まぼろしの翼とともに」の歌いだしだが、麻生内閣の惨状を見るにつけあの喧噪の自民党総裁選挙を思い出す。

いったいあのとき何人が立候補したんだろうか--もう覚えていない

いったいあのとき誰がどんな主張をしたんだろうか--もう覚えていない

あのとき麻生総裁誕生に熱狂した人々はいったい何に熱狂したんだろうか--私は知らない

麻生首相自身の数々の信じられない問題発言(あえて失言とはいわない)を聞けば支持率の低さもむべなるかなと思う。今回の支持率の低下について、記者の質問に「危機に対応すべくしっかりした政策を進めていかなければならない」と答えたそうだが、この期に及んでもまだそんなことを言っているとは議会制民主主義というものが何だか分かっていないと考えざるを得ない。この内閣発足のときの言を繰り返そう:
この種の議論をすると「政治空白を避けるために解散は避けるべきだ」という意見が出る。私に言わせればこの意見は欺瞞もいいところである。国民から真の付託を受けていない権力者が勝手にわれわれの税金を使い、その政策を押しつけるくらいならば、選挙のための政治空白など問題ではない。第一、選挙のための政治空白やらを恐れていては選挙など出来はしないではないか。

[PR]
by hiroi22 | 2008-12-08 22:43 | じっと思う

何じゃこれはの「逆説の日本史」

 知人が読んでいるというので井沢元彦の「逆説の日本史」(文庫本)を求めた.長い歴史シリーズ物なのでどの巻にしようか迷ったのだが,まあ初めがよかろうと第1巻を買った.ところが序論から読み始めてびっくりした.いい加減さが暴走しているのだ.この馬鹿馬鹿しさについていけず,結局「序論」を読んで放り投げてしまった.こんないい加減な論理を操って悦にいっている著者のものはこれ以上読んでも無駄なだけである.あ〜あ本代を無駄にしてしまった.
 こんな本が何で売れるんだ?と疑問に思ってGoogleで検索したらやっぱりありました「逆説の日本史批判」.たとえば:
 納得できない『逆説の日本史』
これはわりと歴史学的な立場で具体的に批判されています.私はそういう歴史的な知識は貧しいのでどちらかといえばこちら:
 逆説の日本史の逆説
に我が意を得たりという感じがします.もっともこの方は私よりも先まで読み進んだ上で批判されています.とてもじゃないが私にはそんな忍耐力はありませんでした.emoticon-0101-sadsmile.gif とりあえず私が読んだ短い範囲内で「何じゃこれは?」と思える部分を拾っていきます.
1)井沢氏は学会の「実証主義」「資料中心主義」を批判しています.しかも声高に.しかし,彼のいう「実証主義」「資料中心主義」とはどこまでを指しているのかわかりません.歴史,特に時代を遡れば手に入る資料・データは当然少なくなります.当然,一般に歴史において「実証主義」「資料中心主義」といっても自ずと限界があるのは明らかです.したがって口角泡を飛ばして「『実証主義』『資料中心主義』はけしからん!」といっても鼻白むだけです.乏しい資料から当時のことについて仮説を立てるという作業は,別に井沢氏に言われなくても,考証の過程でなされていることだと思います.逆に井沢氏に問いたいのは,資料なりデータなしで得た結論にどのように説得力を持たせるのか,ということです.「俺が考えたことだから正しい」では学問になりません.
2)井沢氏は「怨霊・呪詛が科学の対象となっていない」とお怒りである.さあてホントにこれが科学の対象になっているかどうかは私は知らない.しかし,その例としてあげたものが噴飯ものなのだ.氏は
「写真というものは印画紙,単なる紙である.しかし,自分の母親の写真は踏みにじることは(普通の人間なら)出来ないだろう.だからその写真には『臨在感』というものがあるのだ.この存在を認めなくして何の科学があろう」
と主張するのだが,はあ?正気か?「臨在感」という結構なものがあったとしてもそれは個人の心の中の存在.「紙」のような物理的な存在と比較する出来るものではない.それとも井沢氏は暗闇で母親の写真が落ちていたとしても,その「臨在感」とやらで見えなくても写真を踏まずにすむのだろうか.これはもうオカルトの世界である.
3)この序論の終わりで井沢氏は「江戸時代百姓は年貢として米を武士に取られて雑穀しか食べることができなかったと唯物史観の学者がよく主張するのはイデオロギー史観だ」と主張する.私はそういう唯物史観の主張は知らないが井沢氏はこの主張に「数学的に」反証している.これがまた信じられない論理なのである.まず彼は尺貫法から切り出す.彼によれば:
a) 一坪に始まる面積の単位はその広さで取れる米の量から決まっているという.
b) そしてそれはその広さで取れる米で人間を養える量が元になった単位という.
c)石高とはその広さの土地で取れる米の量の総和である.
ふ〜ん,そうなんだである.しかし当然これは荒っぽい見積もりであることは言うまでもない.a)でも同じ面積でも土地が肥えているかそうでないかで取れる量は違う.b),c)でも誰が食べるかで養える量は違う.だから彼の数字を信じたとしても「1万石というのは人間1万人を1年間食わせていける農業生産がある」という主張は“完全に正確”というものではない.しかしまあそれは概数で認めよう.ただし「数学的」には彼のご託はなにも目新しいことを語っていない.簡単に言えば「石高というものは領地の田圃の面積を表す.田圃の面積は米の生産量にほぼ比例する」という当たり前のことで済む.後は単位の変換の問題に過ぎない.非本質的なことで知識をひけらかせているのは気に食わないがそれを除けば大したことはない.問題はこの後である.私は次の文を見てひっくり返った.

「たとえば日本の国の総石高が仮に二千万石だとしよう。すなわち農業人口も二千万ということになる。」(p. 74第2〜3行)

・・・何言ってんのぉ?“田圃の面積=農業人口”って一体どこから出てくるんだね?こんな公式が成り立つのならこの世に食料問題は存在しない.これは

「アフリカの食料生産用の土地はXヘクタールある.(これはY人の人間を養える広さなので)したがってアフリカの人口はY人である」

と言っているのと同じである.さすがにこんなことを平然と書くとは信じられなかったので,どこか読み落しがあったのではないかと探してみたのだがーーーない!!この時点でワタクシはこの本を放り投げました.こんな論理を振りかざしているようでは何を書いてもでたらめだし,この先ついていけませんわ.

 実はこれ以外にもまだまだ突っ込みところはあるのである.70ページほどの序文でこれだけのヒドさなのである.参った参った.emoticon-0107-sweating.gif
[PR]
by hiroi22 | 2008-11-29 21:57 | じっと思う

最近の鳩山由紀夫は冴えてるなあ

 民主党の鳩山由紀夫幹事長といえばどうも滑舌が悪く,そのせいか演説もなまぬるいという印象を持っていたのだけれど,近頃はなかなか面白い.先日笑ってしまったのは「定額給付金」についての麻生内閣の迷走ぶりを
二転三転四転五転六転七転八倒だ
と述べたことだ.なかなかうまいことを言う.今年の流行語大賞にいかがでしょうか (^_^)(右翼な人達が触れて欲しくない過去参照)
最近も相変わらずなかなか冴えているようだ.
Excite エキサイト : 政治ニュース:<全国町村長大会>定額給付金巡り不満噴出 首相にやじも
 一方、首相の退席後にあいさつした鳩山氏は、定額給付金の担当閣僚である弟の鳩山邦夫総務相を引き合いに出して「兄弟がますます仲良くなった。釈然としない思いを共有しているからだ」などと給付金批判を連発し、会場をわかせた。
 さらに、首相が「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」と読み違えたことに引っかけて、鳩山氏が「市町村の事務量がひんぱんじゃなく、煩雑(はんざつ)になる」と述べると、町村長らは爆笑。給付金に充てる2兆円を全市町村に10億円ずつ支給するよう最後に提案し、大きな拍手を浴びた。
 もう誰もが認めるように与党が選挙目当てに考えたのが「定額給付金」.税金を使った選挙対策でとんでもないものだが,アホな首相がぐずぐずしているものだから勝機を失い&正気を失い,もはや選挙対策の意味は薄れ,いったい何がやりたいのかわからない状況になっている.そんな「お上」の不手際のとばっちりを食らった全国町村長大会のお歴々のやるせなさもわかろうかというものだ.
 こういう状況でも相変わらず内閣を擁護するblog群も痛々しいが,漢字の読み違えだけでなくあらゆることを「読み違えている」我が宰相の惨状を考えると笑ってばかりもいられず
 やがて悲しき鳩山由紀夫の皮肉 
と感じざるを得んのです(sigh).
[PR]
by hiroi22 | 2008-11-26 22:57 | じっと思う

ブログパーツ

  • →:次の記事へ
  • ←:前の記事へ
  • Home:このページの先頭へ
  • End:最後の記事へ

最新のトラックバック

「オバマファクター」米国..
from 米流時評
シティバンク危機脱出!連..
from 米流時評
経済氷河期に春一番? C..
from 米流時評
警告!北朝鮮が即時臨戦態..
from 米流時評
作家フォーサイス 次の小..
from 米流時評
「事実は小説よりも奇なり..
from 米流時評
オバマのマンモス再生予算..
from 米流時評
ウォール街の真冬はいつま..
from 米流時評
ウォール街ブリザード!ダ..
from 米流時評
自由への厚い扉/エジプト..
from 米流時評

リンク

タグ

(119)
(60)
(49)
(45)
(45)
(39)
(32)
(26)
(26)
(24)
(16)
(15)
(14)
(12)
(10)
(9)
(8)
(8)
(5)
(2)

ライフログ


青の時代


オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える


風味絶佳


Antonio Carlos Jobim's Finest Hour


セゴビアの芸術

カテゴリ

全体
じっと思う
ずっと思う
Macintosh
iPhone

検索

以前の記事

2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
more...

人気ジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧