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ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


by hiroi22

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教育は理念だけでは・・・(「教育再生会議」の第一次報告)

 「教育再生会議」の第一次報告が発表になった。この報告の意見を述べる前に、私の「教育問題」に関するスタンスを明らかにしておく。
 この種の「教育問題」の議論において子供に直接接する家庭と学校がまず問題にされる。一方、社会全体の関わりを指摘することも出来る。私の立場は社会全体の関わりを重視したものだ。もっと言えば、この社会が子供だけでなく、親にも影響を与え、そしてそれが親を通して間接的に子供に影響を及ぼす。したがって、社会のありようは2重にも3重にもなって子供に影響を与えるのだと考えている。特に最近のマスメディアやインターネットの発展が著しい現代においては重要だと思う。社会全体の影響について次のような思い出がある。
 昔、もう15年以上も前のことだ。北欧のフィンランドにしばらく滞在していたことがある。フィンランドは社会保障や教育面の経済的な支援が手厚い国だ。そのせいか、昼間からでも酔っぱらいを見かける。逆に言えばそんな彼らでも保護を受け暮らしてゆける国なのである。そのフィンランドから帰国する途中、飛行機の乗り継ぎの関係でオランダのアムステルダムに一泊することになった。アムステルダムの空港を降りて市内に出た時に驚いた。人々の人相がとても険悪に見えたのだ。今から思えば、アムステルダムの人々は自然に真面目な顔をして歩いていたのだろう。しかし、ヘルシンキの人々の穏やかな表情を見慣れていたため、その反動としてこのような感想を持ったのだと思っている。そして同時に思ったのは、子供を含めて人々が穏やかに暮らす(暮らせる)社会、これはその社会のおこなう「教育」と相互的にかかわっているものなんだろうということだ。
 私の立場でもう一つ明らかにしておきたいのは、「統計的」という言葉だ。「巨視的な見方」と言ってもよい。
 こういう問題に「社会全体の責任」ということを言及すると、「個人の責任を社会に押しつける」といった風な反論が必ずなされる。これはそうではない。個人の責任は当然ある。しかし、社会全体が悪い方向へ向かえば犯罪が増えるように、子供にとって悪い方向へ社会環境が変化すれば、教育面でのいろいろ深刻な問題が増えるのだ。したがって、巨視的な立場でそれを指摘しなければ、枝葉末節にとらわれた議論しかできないだろう。つまり言わんとしたいのは、社会全体を子供の教育という立場を中心に見直すということだ。更に言えば、こういう観点で議論を進めることは、政府機関など、公権力に近い場では最優先に行なわれるべきであると思う。
 という私の立場から、今回の報告を眺めてみると、ペケである。(つづく)
by hiroi22 | 2007-01-28 16:56 | ずっと思う

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