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ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


by hiroi22

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私は「いじめ」が分からない

 ひところはあまり話題にならなかったが、最近は再び「いじめ」が社会問題視されている。自殺者まで出て、学校や地域の教育委員会の責任問題の話にもなっている。この問題が深刻であるのは理解出来るが、正直言って「いじめ」をめぐる問題意識がよく分からないのである。
 ある生徒が「いじめ」にあっていたとすると、それに対して、「いじめる側」の生徒と監督者である教師や学校が非難を浴びている、というのがおおよその構図だろう。それは形式としては正しいのかも知れない。しかし、実際の問題解決の方法としてそれでよいのだろうか。
 (遠き昔の)私の経験では、実際に中学なり高校でクラス担任の教師というのは決して近しいものではなかった。クラス担任教師の授業がなければ、その教師と話をする時間はせいぜい一日15分程度だった。そういう時間的な事柄もあるが、生徒の側から見て、相談相手としてのランクは、教師よりも友人や先輩、親の方がずっと上だと思うし、私の個人的なメンタリティーでは、個人的に立ち入った話は教師にはしたくなかった。だから実際問題として、現場の話として対策を考えた時に、教師とか学校とかの対応を第一義的に議論してもしょうがないと思うのだ。
 中学や高校の思春期真っ盛りである。生徒は簡単に傷ついたり、人を傷つかせたりするだろう。だから、生徒同士の感情的なトラブルは必然だし、それはある意味健全であると思う。つまり、問題はこのようなことをどのように乗り越えてゆくかなのだ。「いじめを起こさない」ということではなく「いじめにしない」という視点でなければならないと思う。
 そこで、私がこういう「いじめ」の話を聞いて分からないのは、一人の生徒が自殺を考えるまで思いつめた状況が繰り広げられている時に、クラスのまわりの生徒はどういうことを考え、行動していたのかということだ。近くにいて気づかぬはずはあるまい。彼らは見て見ぬふりをしていたのか?それともいじめられる生徒がクラスの嫌われ者だったので、容認していたのか?もしそんな風だったとすると、学校側のすべきことは、いじめた生徒に対する強い指導とともに、このいじめを傍観していた生徒たちに対してもその行為を反省させるべきだろう。「いじめはいけない」という校長の訓話は聞いたことがあるが、いじめを傍観していたクラスのみんなにその行為を考えさせた、という担任教師の話はあまり聞いたことがない。
 生徒同士のトラブルで行き過ぎた行為があっても、まわりの友人が諌めればひどい話にはならないと思う。それは今の生徒たちには通じないとなれば、悲しい話だが、そうではないと信じたい。
by hiroi22 | 2006-10-21 13:15 | ずっと思う

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