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ボーッと何かを・・・ 日々の考えの備忘録


by hiroi22

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わからないけど、わかったような

「英語は日本語より論理的だ」と言う言葉を聞いたことがあります。ずっと昔だったように思います。それを聞いた時は、言語に論理的な差があるはずはないと思っていました。ただ、今は「そういえないこともない」と思うようになりました。ただし、「言語における論理性」というものの厳密な定義をして考えているわけではないので、あくまで個人的な印象です。
どうしてそういうことを思うかというと、例えば英語ではいつも「主語」を明確にします。また、冠詞による意味の区別や「単数・複数」を気にしなければいけません。日本語ではそういったことはあまり気にしません。つまり、英語では、ただ単に順序よく単語を並べただけでは意味が通じないことが日本語よりも多いと思います。自分がネイティブスピーカーではないということを考慮しても、英語に少し厳格な決まり事−それはある種の論理性と言えるかも知れません−を感じます。
例えば、「晴れているので、庭の花に水をやる。」という文章。この文章の主語−たぶん自分でしょう−は明らかにされていませんし、「庭の花」もいくつあるのかは気にしてません。英語ではそういうことを気にしないといけません。また、「晴れている」という文節にも、because it is clear などで無理矢理 it という主語をつけないといけません。このようないくつもの決まり事、手順を踏んでいくということに「論理性」を感じます。また、話し手の意図を出来るだけ明らかにしようとする構造が見えます。
日本語ではそういった部分はかなり曖昧になっています。これはたぶん、日本は長い間ほぼ単一民族で成り立っていたということが大きいのでしょう。文章の中に隠れている部分は多少曖昧でも、以心伝心、お互いに汲み取れるというわけです。これは日本人の叙情性の豊かさの帰結、あるいはその原因になっているのでしょう。ただし、当然良いことばかりではありません。日本語でものごとが説明されている場合、とても読みにくいことがあります。
例えば、「粒子が動く」という文、その粒子(particle)が複数であるとき、日本語なら「いくつかの粒子」または、やや不自然ですが、「粒子たち」という表現をしないといけません。英語なら、もちろん particles でおしまいです。また、その粒子が問題にしているものなら、「その粒子」としないといけませんが、そうでない一般の話ならば単に「粒子」とでも表現するのでしょうか?後者の場合は文章によっては相当曖昧になります。英語なら the と a という冠詞で区別できます。私の個人的な好みかも知れませんが、「いくつかの〜」あるいは「〜たち」とか「その〜」とかが連発して出てくる日本語は読みづらいと思います。
ずっとですが、翻訳、特に科学系の本の翻訳はとても読みにくいと思っています。特に一般向けのものはそうだと思います。この理由の一つとして、上のような理由があるのだと考えています。もう一つ、特に一般向けと言ったのは、この種の本では科学系の読み物にもかかわらず、数式を使わないで説明されている場合が多いので、それも大きな原因と見ていますが、このことはまた稿を改めて書きます。
by hiroi22 | 2005-07-03 22:10 | ずっと思う

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